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2023年度 2学期「終業のことば(校長)」

2023年12月22日

2学期 終業のことば 校長

 

前略

(ことしは)亡くなった人も多かった。ノーベル賞作家の大江健三郎さん……盈進の沖縄学習旅行で毎年、体験談を語ってくださっていた中山きく先生もとうとう鬼籍に入った。

中略

わたしがことし、いちばんうれしかったこと。それはふるさと福岡の母との会話。コロナの影響もあって認知症が進み、体調がすぐれない90才の母を病院に見舞ったときのこと。ベッドの横たわる母の顔にわたしの顔を近づけて「母ちゃん、帰ってきたばい。俺が見えようね」と言ったら、母がわずかに目を開けて、しばらくわたしの顔を見つめようやく、絞り出すように小さな声で「うれしい」と言った。それはわたしにもうれしいひとことで、どんなに私の胸を打ったか。諸君も教職員のみなさんもどうか、ご家族を、そして、何よりも健康といのちを大事にしてください。

10月、本校最大の行事「盈進感謝祭」を通常通り行うことができた。反省と課題を明確にして、どうすればもっと探究が深まり来場者が満足するかを、仲間と共に、自分たちで考え、自分たちの実践につなげてほしいと願う。諸君の可能性は無限大なのだ。

ことしも諸君はよく、クラブ活動に励んでいた。詳細は11月30日の創立記念日に伝えたのでここでは割愛する。クラブ活動は、人生を豊かに生きるための人間性と人格を磨く大切な学習の場であり「盈進共育」の大きな柱である。大好きな仲間たちと好きなことをとことんやってほしい。

6年生はいよいよ共通テストと一般入試を迎える。まだ伸びる。焦らない。最後まで確実に、仲間と先生方、そして自分を信じ、自分が立てた高い目標に向かって努力しよう。その努力のプロセスは必ず、たとえ結果がどうであれ、諸君の人生をより豊かにする。

4、5年生は、自分で立てた目標に向かって確実な努力を積み重ねること。6年生の姿は来年の君たちの姿である。自分の改善点、甘えている部分を明らかにして、仲間と切磋琢磨、これまで以上に、学校のリーダーとしての自覚をもち、学習にクラブに努力すること。

3年生は修了論文も佳境に入った。修了論文は、自分のいまと未来に向き合うに等しい。「Career in Kyoto」での学びや視点も活用して全力を尽くし、完成をめざすこと。

2年生は先ほど伝えた礼儀礼節を重んじ、規律とけじめを徹底して意識化し、行動すること。4年ぶりの沖縄尚学との交流で2年生諸君の元気かつ仲間と連帯するエネルギーを感じた。「規律とけじめ」が習慣化されれば必ず過去最高に伸びる学年だと期待している。

1年生。感謝祭の「恩師謝恩会」は実にすばらしかった。その集団の力は宝だ。始業式も伝えたが「努力は必ず報われる」ということを胸に刻み、規則正しい生活・学習習慣を維持すること。憧れの先輩を見つけ、その先輩の背中を追い日々、努力すること。

中略

……目的は、諸君が学年を超えて切磋琢磨、それぞれの高い目標に向かって意欲的かつ自主的に学習をすることをのぞむからである。英語力(語学力)は「未来の扉」を開き、Global社会を世界の仲間たちと「共に生きていく」うえでとても大切だ。……それは、諸君の未来そのものである。英語の力が未来への扉を大きくする。

 

これから後半に入る。後半は「死を通していのちを考える」をテーマに話をする。

ロシアのウクライナ侵攻で亡くなったり傷ついたりしている人々のことに胸を痛めているさなかの10月7日、地獄の扉が開いた。イスラム組織ハマスによるイスラエルへの大規模な攻撃はまさに衝撃だった。その衝撃は、幾重にも反響して世界全体を揺るがしている。

イスラエルとガザ地区で起きている暴力と破壊のすさまじさに絶句する。わたしは即時停戦を求める者である。

この衝撃は中東以外の地域でも政治的に拡大しつつある。ウクライナとロシアの戦争への関心は大きく低下し、アメリカの国連安全保障理事会での拒否権行使やイスラエルによるガザでのジェノサイドは、ロシアの侵略以降、西側が誇ってきた道徳的威信を低下させた。この事態は、来年の米国大統領選を左右すると予測されている。

イスラエルのガザにある病院への攻撃は国際人道法に違反している。泣き叫ぶ人々、特に子どもたちの姿を見るのはほんとうに耐えがたい。ガザ地区ではこれまでに2万人以上が死亡、このうち約5000人が子どもだったという。

「皆が手のひらに自分の名前を書いています。遺体の身元確認ができるようにするためです。皆、この瞬間にも死ぬかもしれないと考えているのです」(「問われる『忘却の罪』/中国新聞/2023.12.16」)

ガザ出身の男性が伝える現地の惨状だ。11月22日の「ホンモノ講座」で作曲家の阿部海太郎さんがこう言っていた。「『1万人が死んだ』と報道されるが、わたしたちは、1万人の1万とおりの死を見つめるべきである」と。私もまったく同感だった。

そんなことを考えながら今月10日から2年生と沖縄学習旅行に行き、沖縄戦を考えた。

その1週間前に5年生は沖縄学習旅行があった。3年生と4年生の盈進中出身者は去年、6年生の盈進中出身者はコロナ禍直前の2020年2月に沖縄へ行った。1年生は来年、行く予定である。

1945年3月26日から約3ヶ月間にわたる熾烈極まる地上戦だった沖縄戦。その特徴は、「本土防衛のための時間稼ぎの“捨て石”」や「鉄の暴風」「生きて虜囚の辱めを受けず」「集団自決(強制集団死)」「ありとあらゆる地獄を集めた地上戦」などのことばに集約されよう。

盈進中の生徒が沖縄学習旅行に行くようになって約15年が経過した。その間、沖縄戦を従軍学徒の看護隊として生き延びた中山きく先生からほぼ毎年、体験談を聞いて学習してきた。しかし、きく先生はことし1月、94才で亡くなった。いまの盈進中出身の6年生がきく先生の生の声を聞いて、沖縄戦を学習した最後である。私はとても親しくしてもらっていたのでしばらく、深い悲しみにふけった。

きく先生はいつもこうおっしゃっていた。「思っているだけでは平和は来ない。行動しなさい」と。きく先生は諸君とほぼ同い年の15才で沖縄の壕(ガマ)につくられた急ごしらえの「野戦病院」で負傷した兵士の看病にあたった。きく先生の手記から引用する。「…手足の切断、弾丸を摘出する凄惨な手術が続いた。苦痛と恐怖に悲痛な叫び声をあげる患者に『貴様!それでも軍人か』と軍医の一喝。麻酔が効かないうちの手足の切断に(私たち)学徒も負傷兵も共に泣いた。…化膿した傷の異様な臭いや排泄物の臭い…患者も看護する側も頭にも体にもびっしりと大きな白いシラミが群がっていた」

沖縄から帰って、学生時代に読んだ灰谷健次郎著『太陽の子』を読み直した。

「太陽の子」は、沖縄(琉球)のことばで「てだのふあ」と読む。太陽は「てだ」子どもは「ふあ」だから「てだのふあ」。この「てだのふあ」(太陽の子)の主人公は「ふうちゃん」という。

ふうちゃんは、神戸生まれの女の子。おとうさんとおかあさんは沖縄出身で、神戸の下町で沖縄(琉球)料理の店「てだのふあ・おきなわ亭」を営んでいる。やさしい常連さんたちに囲まれて底なしに明るく育ったふうちゃん。でも、小学6年生の頃、おとうさんが心の病気で苦しむようになるどうしておとうさんは病気になったのか。ふうちゃんは、「沖縄と戦争」にその原因があると気づき、お客さんなどの身近な大人たちと対話する。そして、戦争は本当に終わっているのだろうか。なぜ、おとうさんの心の中では戦争は続くのかについて考える。

「てだのふあ・おきなわ亭」の常連客ろくさん。普段はおだやかなろくさんが怒りに震えながら、沖縄の少年キヨシの背後にある沖縄の歴史を知ろうとしない男たちに向かって、沖縄戦の現実を語る場面がある。

「……(沖縄と本土)はほんとうに平等かね。」「この手を見なさい。よく見なさい」。ろくさんは上着をとり、寒いのにシャツまではいだ。浅黒い皮膚が出て、その胴には手が一本しかついてなかった。ろくさんは見えない左手を突き出した。ほとんど根元からその手はなかった。十分な手当が受けられなかったのか傷口がいびつだった。「手榴弾でふっとばされた」。ろくさんはいくらかたじろいでいる男たちの前でいった。「敵の手榴弾ではない。わしはただの大工で兵隊ではなかった。沖縄を守りにきてくれていた兵隊がわしたちに死ねといった。名誉ために死ねといって手榴弾をくれた。国のために死ねと彼らはいった。わたしたちはみんなかたまってその真ん中で手榴弾の信管(爆発装置)を抜いた」。ふうちゃんは大きく目を見開いた。いつか……見た集団自爆の写真の中に、ろくさんがいたということではないか。「そして、みんな死んだんだ」。ふうちゃんは……今、ここでろくさんの話に耳をふさいだり、目をそらしては沖縄の子ではない、……「てだのふあ」(太陽の子)ではないとふうちゃんはけんめいに耐えた。「ええか、この手をよく見なさい。見えないこの手をよく見なさい。この手でわしは生まれたばかりの吾が子を殺した。赤ん坊の泣き声が敵にもれたら全滅だ、お前の子どもを始末しなさい、それがみんなのためだ、国のためだ ― わしたちを守りにきた兵隊がいったんだ。沖縄の子どもたちを守りにきた兵隊がそういったんだ。みんな死んで、その兵隊が生き残った。……この手をよく見なさい。この手はもうないのに、このてはいつまでもいつまでもわしを打つ」。ふうちゃんの目に涙があふれた。しかし、ぎゅっと唇をかんで、ふうちゃんは耐えた。「あんたに(も)…きっとやさしい子どもがいてるだろう。わしはこうして見えない手に打たれてひとりぼっちで生きている。……これで平等かね」「……あんたの人生がかけがえのないようにこの子(キヨシ)の人生もまたかけがえがないんだよ。ひとを愛するということは、知らない人生を知るということでもあるんだよ。そう思わないかね。」

作者の灰谷健次郎は「あとがき」に、この「てだのふあ」(『太陽の子』を書いた理由をこう記している。

「…(人間の)死を通して、『生』の根源的な意味を考えるために『太陽の子』を書くのだとぼくは思いました。「てだのふあ」の意味は太陽の子です。太陽の子 ― あなたたちは太陽の子です。あなたたちの中にあるあらゆる可能性は、人間の存在の意味を確実に問い続けるでしょう。このことのみが唯一、日本の国を再生させる力になり得るのです。ぼくはそれを信じて、この物語を書きました」と。

この本の解説は今年の夏に亡くなった作家の高史明。高史明は読者(のわたし)にこんな問いを投げかける。(てだのふあ、太陽の子、ふうちゃんは)「…自分の生(いのち)が『たくさんの人のかなしみ』に養われていることに気づいた」。だが、「問題はむしろ、いまを生きている私たち、生きている者中心の眼差しにこそ潜んでいるのではないか」と。

わたしたちは、自分の生(いのち)に、死者を重ね、いま生きなければならない。過去のたくさんの死があっていまがある。いまも、悲しいかな、たくさんの人々の死が現実にある。そして未来が築かれていく。

楽しいクリスマス、おめでたい正月が来るが、その真実から目をそらすまい、とわたしは思っている。

11月18日、犠牲になった人々を悼む式典が東京のイスラエル大使館前であった。自身もユダヤ人のエマニュエル駐日米国大使はあいさつで、ホロコーストを体験したユダヤ人社会に伝わる格言を紹介した。「Whoever saves one life, saves the world entire.(一人の命を救うことは、すべての人類を救うことにもつながる)」。

いまこそ紛争当事者も、私たち国際社会も、そのことをしっかりと認識したいと思う。

終わります。よいお年を。

 

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