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2023年度 2学期「始業のことば(校長)」

2023年08月22日

おはようございます。猛暑が続き、熱中症警戒アラートも度々出たが、みな、ご家族も含めて変わりはないだろうか。この夏も豪雨災害が各地で相次いだ。台風6号7号も甚大な被害をもたらした。ハワイ・マウイ島火事にも胸が痛む。ウクライナの人々のことを忘れることはない。

4年ぶりのコロナ制限のない長期休暇だった。会いたい人に会えただろうか。私は、ことし90才になる施設で暮らす母に会いに、郷里の福岡に帰った。ガラス越しではなく直接、母の部屋に入って対面。コロナで生活範囲が制限されていたこともあってか、ずいぶんと認知症が進んだ。私の顔を見てもしばらく反応がない。息子の私を認知するまで時間が必要なのだ。そして、すっかり痩せ細ってしまった母であった。それでも直接、母の身体をさすることができる幸せをしみじみとかみしめた。認知症であっても、とにかくずっと生きていてほしいと願う。

諸君も教職員のみなさんもどうか、ご家族を、そして、何よりも健康といのちを大事にしてください。

10月14日15日には、本校最大の行事「盈進感謝祭」を通常通り行う予定だ。君たちがもつ能力とアイディアを思う存分に発揮してほしい。是非、この感謝祭でも「仲間と共に、自分たちで考え、自分たちで行動する」という盈進共育を実践してほしい。

クラブ活動は、人生を豊かに生きるための人間性と人格を磨く大切な学習の場であり「盈進共育」の大きな柱である。今後ますます、進路開拓にも大きなアドバンテージとなる。まだクラブ活動に参加していない生徒は、これからでもいいから是非、クラブ活動に参加して、自分の能力を高めてほしいと願う。

この夏もみな、よくクラブ活動に励んでいた。フェンシング部は男女とも全国高等学校総合体育大会(インターハイ)に出場。出場したのは5年の大出さん、奥野さん、4年の亀田君、小林君、中澤君、高先君。その中で、5年の大出さんがベスト16に入った。水泳部は、6年の土肥さんが中国大会出場、剣道部は、3年の森本さんが中国大会出場、6年の清水さんが国民体育大会中国ブロック大会広島県代表。柔道部は、3年髙橋君が中国大会で55㎏級ベスト8、音楽部は広島県吹奏楽コンクール「高校部門」で金賞、ヒューマンライツ部4年の松葉さんと5年の池田さんはオーストリア・ウィーン国連で、核廃絶のスピーチを英語で行った。他のクラブもみな、すばらしい。すべての生徒、教職員の誇りである。

6年生は勝負の2学期だ。まだまだ伸びる。最後まで、仲間と先生方、そして自分を信じて、自分が立てた高い目標に向かって努力しよう。その努力のプロセスは必ず、たとえ結果がどうであれ、諸君の人生をより豊かにする。

4、5年生は、1学期に立てた目標が校内に掲示してある。私はすべて見た。4、5年生はいま、6年生の努力する姿をしっかり目に焼き付けて、それにならい、自分の改善点を明らかにして、これまで以上に、学習にクラブに努力しよう。盈進の中でリーダーシップを存分に発揮してほしい。

3年生は修了論文に全力で向き合うこと。それは、自分のいまと未来に向き合うに等しい。私がサポートする生徒は、夏休みに入ってすぐに、課題解決のためのアンケートの協力を要請したが、送り先の慶應義塾大学と東京大学からすぐに、私経由で「協力します」という返事があったことがうれしかった。慶應義塾大学は既に大変丁寧な回答を寄せてくださった。

2年生は夏休み直後、スーパー・ハローズでの職場体験実習を終えた。勉強になったと思う。その経験を生かして、日頃から相手を尊重し、丁寧なあいさつとことば遣いを意識すること。そして、常に感謝を忘れず、授業、HR活動、クラブ活動において、自分の責任を果たすこと。

1年生はようやく慣れた盈進生活だが、「努力は必ず報われる」ということを胸に刻み、規則正しい生活・学習習慣を維持しよう。憧れの先輩を見つけ、その先輩の背中を追い日々、努力しよう。

(中略)

「スマホは脳を壊す」と警鐘を鳴らす人がいる。そんな本も巷に多い。使いすぎ、頼りすぎは思考力も忍耐力も低下させ、不安やうつや認知症を引き起こすという指摘もある。私は実験の結果、本当にそう思った。そして逆に、スマホを使いすぎ、頼りすぎる生活に慣れるということは、自覚症状がないまま徐々に、脳と身体が壊されていくということになっているのではないかと思った。

諸君、自分の生活を冷静に見つめてほしい。スマホの使いすぎ、頼りすぎの生活はないか。であれば、できるだけスマホを手放すんだ。さもなくば、本当に生活が乱れ、脳と身体が壊れていくと私は思った。諸君にはそうなってほしくない。だから8時間睡眠を確保すること、脳と身体を休めること。そして、かけがえのない仲間やご家族とできるだけいっしょの時間を過ごし、やりたいこと、好きなことをいま、とことんやること。でなければ、諸君の青春がいかにももったいない、と私は言いたい。先生方は是非、大切な生徒の健康を守り、生徒たちが自分の力で、進路を確実に開拓するためにも、8時間睡眠、必ず最低1時間以上の家庭学習」という習慣の確立にご尽力いただきたい。

世界に目を向ける。ロシアのウクライナの市民生活を破壊するミサイル攻撃や砲撃の応酬は止む気配がない。ウクライナでは1万人の民間人が犠牲となり、両国軍兵士の死傷者は数十万に上るとされている。「世界の食料庫」である両国からの穀物物資が滞り、途上国を中心に3億6200万人が人道支援を必要としているという。コロナ禍での経済混乱やエネルギー価格の高騰は私たちの日常も直撃し、それと合わせて、地球規模の危機となっている。

侵攻の影響もあり、紛争や迫害から逃れた難民や国内避難民は5月時点で推計約1億1000万人と過去最多を記録しているという。侵攻開始から約1年半。私たちに突きつけられているのは、一旦始まった戦争を止めるのは難しいという現実である。

これは単に「ロシアとウクライナの戦争」ではない。「私たちの戦争なのだ」という視点が必要だと私は思う。他の国(主権国家)を侵略してはならないという法に基づく国際ルールへの重大な挑戦である。「力による現状変更」は決して認めないという私たち地球市民の覚悟が問われている。奪われた領土の回復というウクライナの「正義」を尊重しつつ、世界の「安全と平和」をいかに実現するか。そのためにいま、日本いや、世界市民としての私たちは何をすべきか。

JICA(国際協力機構)の田中明彦理事長は説く。「ウクライナを支援すると同時に複合的な危機で困っている国々を手助けする。それが国際社会の連帯を培い、日本の長期的な国益につながる」。

『ウクライナ戦争をどう終わらせるか』という本がある。戦争を止めることを「和平」と言うが、その和平調停や国際構築が専門の東大作(上智大学教授)さんの本だ。過去の戦争における和平の例、経済制裁はどこまで効果があるのか、和平後の課題などを論じた後、東さんはこの本の最終章にこう記している。「今、日本は国際社会で何をすべきか」。その中でひときわ目をひいたのが2019年12月、アフガニスタンの現地で銃弾に倒れた中村哲さんの実践例だった。

中村哲先生。医者。私と同じ福岡の出身。私もたずさわるハンセン病問題から中村先生を知り、私は25年間、中村先生の活動を支援する「ペシャワル会」の会員である。

諸君、わが日本国憲法の前文を言えるだろうか。「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」と記されている。中村先生は、憲法の理想は「守る」ものではなく、「実行する」ものだと私たちに教えてくれている。

きょうは、「なぜ、何のために、学ぶのか」をテーマに話をする。

中村先生は73才の時、銃で撃たれて亡くなった。中村先生の生涯を少し紹介する。中村先生の「仲間と共に、自分で考え、自分で行動する」という生涯である。

中村先生は医者だ。昆虫、とりわけチョウチョが大好きだった中村先生は31才のとき、きれいなチョウチョを見るためにアフガニスタンの隣の国のパキスタンを訪れる。そこで貧困にあえぐ人々に出会い、医療を始めた。

ペシャワルの診療所の患者の半分は、戦争をしていた隣のアフガニスタンから逃れてきた貧しい人々だった。だから、中村先生は、パキスタンのペシャワルからアフガニスタンのダラエヌールに行き、そこでもまた、医療行為を開始した。45才のときだった。

だが、医療道具も薬もない。手術するにも水がない。だが、人々の暮らしに溶け込み、献身的に医療を施す中村先生を、アフガニスタンの人々は信頼して愛し、現地のパシュトゥ語で「カカ・ムラド」(=ナカムラのおじさん)と親しみを込めて呼んだ。

2000年、中村先生が53才の時、戦争で苦しんでいたアフガニスタンを大干ばつが襲った。井戸も涸れた。子どもは泥水を飲んで病気になった。食べ物もない、水もないから赤ちゃんが次々に死んでいく。だから中村先生はこう考えた。

「水と食べ物があればいのちが助かる。水もない、食べ物もないから、家族を助けるために兵士となってお金を稼いで家族に送金する。だから戦争がいつまでも続く。だったら、水を引き、畑を作って食べ物を育てれば、人々は兵隊に行かないでいい。そして、いのちが助かる」と。

中村先生は、戦争の背景にある貧困を解決することによって本当の平和をつくろうとしたのだ。

だから、用水路を造ることを計画した。雪解け水を引けば、きれいな水が飲める。いつも畑が潤い、農作物が育つ。「百の診療所よりも一本の用水路」と言って、数学も物理も勉強し直した。現地のことばパシュトゥ語も習得し、村の人々に計画を説明し、力を結集した。56才の時だ。

「きれいな水かくる」とうわさを聞いて、兵士となっていた人々も故郷に戻ってきて、ショベルを持って工事に加わった。中村先生は自分でショベルカーなどの重機を運転して、掘削をした。

掘った用水路に水を引くには、川の流れを変えなければならない。そこで中村先生は江戸時代の日本の河川工事のやり方学んだ。歴史と物理の学習だ。そうて、大きな石を川に落とし込み、水かさを上げることに成功。

ついに、干ばつで干上がった大地に水のめぐみが訪れ、田んぼや畑に農作物が実り、アフガニスタンの人々は「パンが焼ける」とよろこんだ。70歳のときである。

中村哲先生。「砂漠を緑にかえたお医者さん=カカ・ムラド=ナカムラのおじさん」。この本は、「のBooks」文庫の棚にある。カカ・ムラドは言う。

「人々が飢えている状態を放置して『国際協力』も『対テロ戦争』もうつろに響く」と。

「飢えている人に必要なのは弾丸ではない。温かい食べ物と温かい慰めである」と。

「平和には戦争以上の力があり、平和には戦争以上の忍耐と努力がいる」と。

中村先生は、「なぜそこに行ったのか」という問いに対し、こう答える。

「困っている人を前に逃げ出せない。できるのにやらなかったら後悔が残る」と。

「誰もがそこへ行かないから我々がいく。誰もしないから我々がする」と。

そしてこの決意を英語で自ら世界に伝えた。

We choose not to go to the places where everyone is willing to go, but rather to the places where help is desperately needed and no one else is willing to go.“

(私たちは誰もが行きたがる場所には行かないことを選択する。むしろ、助けが切実に必要とされているのに、誰も行こうとしない場所に行くのだ)

 

諸君、きょうのテーマ「なぜ、何のために、学ぶのか」を是非、2学期にあたって考えてほしい。

友だちと、先生方と、ご家族と。そのときに、きょうの中村先生の生き方から学ぶことは多いと思う。

中村先生は、アフガニスタンの人々との信頼を築くために現地のことばパシュトゥ語も勉強した。そして、自分の考えを世界に発信するために英語も使った。

アフガニスタンの人々の平和のため、涸れきった大地を潤す用水路を造るために、歴史も、物理も、数学も勉強した。

私は高校で数学が大の苦手となったが、日本を代表する数学者の藤原正彦さんの本が大好きで、よく読んだ。藤原正彦さんの父、作家の新田次郎さんのファンであり、母で同じく作家の藤原ていさんを、私が30才のときに鞆の浦を案内したこともあったご縁で、藤原正彦さんの本を買い集めた。

中村先生の国際人道支援を振り返っていたとき、藤原正彦さんの『数学者の言葉では』という本にこんなことが書いてあるのを思い出した。「役に立たない、というのは、価値がないということではない」と。そうか。そのとき「役に立たない」と思うことでも、きっといつかそれが価値を発揮するんだと思えて、とても合点がいった。本を読んでいるとひょんなことで「なるほど、そういうことだったのか」と思うことに出くわすことが多い。読書の醍醐味である。

私が好きな新聞の連載に「外国語の扉」がある。(今は、「語学の扉」と名称が変わっている)是非是非、インターネットで検索し、興味のある扉を開いてほしい。さまざまな人のさまざまな目的の、さまざまな勉強法を知ることができてとてもためになる。そして楽しい。

私はその中でも、約1年前2022年8月24日の記事、NHK英会話講座講師の大西泰斗さんが語った「英語を学ぶ意味」が忘れられない。「僕は、英語を学ぶ意味は、自由になることだと思います。英語で伝えられるようになって『ああ自分は、世界のどこだって行ける』という気持ちになることは、人間にとってものすごく重要だと感じます。そうすれば、今まで無意識に自分のまわりに築いてきた掘りや垣根を取っ払うことができるのですから」。

「なぜ、何のために、英語を学ぶのか」。それが「自由になるため」。なんてすてきな意味づけであろうかと私は思った。

大西泰斗先生は、「英語を使ってはなせるようになるために必要なこと」として、「音読と暗唱を強く勧める」と語っている。諸君には毎日のListening Timeはもちろん、授業や家庭学習での音読も大切にして、盈進オリジナル「暗唱」もどんどん自分でやってほしいと願う。さすれば諸君は、もっと自由になれる。

諸君の授業を担当する英語の先生方は盈進で英語を学習する目的や意味をこう規定している。「視野を広げ、世界とつながる」。国語の先生方はこう規定している。「ことばの力で『わたし』と違う世界に出会う」。どちらもとてもすてきなことばである。

ことしはある大事件から100年目の年である。何か。そう、1923(大正12)年9月1日午前11時58分に発生した関東大震災である。死者・行方不明者は10万人以上と推計される。正午前の大地震は、かまどで火を使って昼食を準備していた家を襲い、大火災をもたらした。木造家屋は瞬く間に火の海と化した。

(中略)

 きょうのテーマは「なぜ、何のために、学ぶのか」。私は、300人の朝鮮の人々のいのちを救った警察署長の行動に、それを知ったときからずっと、学び続けている。

100年前、大パニック時に警察署長がとった行動は、震災から100年の9月1日、担任を通じて諸君に伝える。

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