学校法人盈進学園 盈進中学高等学校

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2023年度 1学期「終業のことば(校長)」

2023年07月19日

1学期 終業の言葉(校長)

*終業式は、全校リモート配信。(生徒が見る画面には、文字や絵や写真が映し出されている)

 

まず、みんなで、心静かに黙祷を捧げよう。いまもウクライナで、シリアで、アフガニスタンで、アフリカで、尊い命が奪われている。コロナも終わってはいない。感染で亡くなった人もいる。ことしも大雨土砂災害で亡くなられた方々もいる。東日本大震災も終わっていない。東京電力福島第一原発の「処理水」の海への放出が政治問題となっている。その海ではいまも帰らぬ家族を捜し求めている人もいる。そんな人々のいのちに心を寄せ、自分の命がいま、多くの人々によって生かされていることに感謝し、しばらくの間、黙祷を捧げよう。 黙祷

直ろう。 きょうは、「忘れてはならないこと」をテーマに話をする。

 

ウクライナ戦争によって、世界的に物価が高騰している。食料もエネルギーの価格も私たちの生活を直撃している。国内の生活格差も広がり、大きな社会問題となっている。

戦争紛争の迫害や差別から逃れたり、干ばつであえいだり、地震などで家族を失い生活基盤を奪われたりした難民や被災者にとって、ウクライナ戦争の影響は、生活苦に追い打ちをかけ、ますます命を脅かせている。

私に送られてくる国連UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)からの「緊急支援要請」によると、支援対象の学齢期の子どもたち1000万人以上の、実にその2人に1人が学校に通えない状態だという。君たちと同じ子どもたちが、君たちと同じように、「教員になって、子どもたちの心に希望の火を灯したい」とか「医者になって苦しんでいる家族や仲間の病気を治したい」と思っているのに、鉛筆もない、学校もない。あっても遠いとか破壊されたという日常なのだ。そして、いつもお腹が減っている。

今年2月の大地震に襲われたシリアやトルコ、紛争や干ばつが続くアフリカ、軍事紛争下のアフガニスタンやミャンマーなどの子どもたちのことを思うと胸が締め付けられる。

私たちができることは何か。それを、私たちは考え続けなければならないし、可能なら、できることを行動に移すべきである。しかし、いますぐに行動できなくても、私たちにできることはある。それは、彼らの存在を決して「忘れないこと」だ、と私は思う。

アフガニスタンでは女性差別を容認するタリバン政権が女性の人権を抑圧し、教育を受ける権利を奪っている。この写真にはこうある。

If you educate a woman, you educate her entire community.(1人の女性に教育を施すことは、コミュニティ(地域社会)全体に教育を施すこと)

私たちは、地球市民の1人として常に、世界に目を開いていなければならない。グローバルな視点を忘れないということだ。

一方、グローバル社会に生きているからこそ常に、自分たちの身近な生活空間にも目を向けることを忘れてはならない。(中略)

 

我が盈進の美しい坂道、美しいキャンパスが常に保たれているのは、技術員の方々が、暑い日も寒い日も、年から年中、盈進のことを思って、働いてくださっているからなのだ。それは、食堂の方々だって、バスの運転手の方々だってまったく同じだ。それらの方々が、君たち私たちの安全と健康と命を守って下さっているから、私たちは日々、不自由なく学習に向かうことができる。このことも、決して忘れてはならないことである。

忘れてはならないことはまだまだある。

今年度からはじめた「毎日できるだけ8時間の睡眠を確保すること」。そして「毎日最低1時間以上の集中した家庭学習をすること」である。

この二つの実践は、諸君の授業への集中度を高め、学習理解の深化と、クラブ活動の充実、実績アップにつながる。福山を代表する脳神経外科医の大田浩右先生は「特に若者は、十分な睡眠をとって脳を休めることで健全に成長する。でなければ、集中力も低下し、学力も伸びない」と言っておられる。

始業式には新聞記事も紹介した。スマホの長時間利用は、脳内の情報整理を妨げ、学ぶ力の低下や物忘れを引き起こしているという「デジタル認知障害」を取り上げた。

国の統計も示した。不登校の児童生徒は24万人。小中高校生の自殺者は512人。共に過去最高。この背景にスマホやタブレット依存があること、SNSや動画等の不適切な利用があることは想像するに難くない。だから私は、「諸君にも思い当たる節はないか」と投げかけた。夏休みも、2学期以降も、この2つを忘れず、過ごしてほしい。

忘れてはならないことはまだある。直接的あるいはSNSなど間接的にかかわらず、人を差別しない、バカにしない、悪口を言わない、人が嫌がることをしない、である。

(中略)

諸君、深く自覚し、忘れることなかれ。「ホンモノ講座」での二宮清純さんのことばを。「君は盈進の一員ではない。君が盈進なのだ」。「人を差別し、バカにする」。人として最も恥ずかしいことである。絶対にやってはならない。

忘れてはならないことはまだある。生成人工知能(AI)を巡る議論が熱を帯びてきた。「対話型AI」と表現される「チャットGPT」を開発した会社の最高経営責任者(CEO)が来日したり、先進7カ国首脳会議(広島サミット)を機に国際的な議論が本格化したりと事態が慌ただしく動いている。江戸時代の終わりを告げるペリー来航(=黒船来航)と比べられるほど、われわれの生活が変わると予測されている。

だが、そんな中だからこそ、冷静に立ち止まり、何が大切かを考えることを忘れてはならない。東京大学教授で古代の哲学者プラトン研究で知られる納富信留先生は、「チャットGPT」に「“対話”型」という表現を用いることは間違いだと断じる。そして、「『チャット GPT』とは“会話”しか成り立たない」という。会話(conversation)と対話(dialogue)は根本的に違う。納富先生は、「対話と会話は似て非なるもの」として、“対話”を次のように定義する。「完全に対等な者同士が、言葉と言葉で自分の意志をぶつけ合う。人と人、あるいは心と心、魂と魂で交わすもの」だと。そして、私たちにこう、投げかける。「対話こそ、民主主義の根幹だ」と。

批評家の若松英輔さんは、『中央公論』という雑誌でこう説いている。AIと人間との間では、「本当の意味での対話は成り立ち得ない」と。そして、「情報を速く効率的に摂取することを求める社会」では知識が先行し、経験が軽んじられるが、「生きていくうえで大事なのは、答えをいち早く見つけることではなくて、自分の本当の問いに出会うこと」と警鐘を鳴らす。

私は諸君に伝えたい。安易に早く答えを求め、自らの思索、思考を放棄してはならない。「自分で考えて、悩む」その過程にこそ、人間的な成長があるのだ。『客観性の落とし穴』というこの本にこんなことが書かれていた。「すんなりと言葉にならないことを考えるのが、読むこと書くことの基本である」と。私は深く納得した。

 

明日から夏休み。まずは、何が何でも健康第一。それは決して忘れてはならない。次に学習。6年生は人生をかけて、最後まで仲間と共に学習に向かう。学校が開いているときはずっと学校で学習した方がいい。5年生も、この夏から受験生になる。

他の学年も8時間睡眠、規則正しい生活で、学習に向かう。次にクラブ活動。運動部、文化部にかかわらず、活躍を期待している。この夏も、中国大会や全国大会での活躍を期するクラブもある。高校野球部はきょうも勝利し、4回戦に進んだ。

私は、6月の「地域貢献in神辺」の感動を忘れてはいない。音楽部の「一音一心」、心を通わせた迫力ある美しいハーモニーに魅了された。生徒会も放送部も環境化学研究部も応援部もすばらしかった。もう一度心から拍手を送りたい。

 

次に読書。夏休みは、せっかく時間があるから是非、本を読む。読書は、私たちに、「どう生きるか」という哲学を授けてくれる。私は、たった一冊の本の、たった1行が人生を支えると信ずる。「のBooks」も大いに利用してほしい。(中略)「のBooks」を読んだ中学野球部の読書感想文が職員室前に張り出されているが、中学野球部員は、本を読み、感想を書く過程のなかで必ず、知的にも人間的にも成長している、と私は信じている。

紹介したい本は山ほどあるが、最近読んだ中で特に印象に残った3冊だけ、紹介する。

1冊目は『教室を生きのびる政治学』。生徒会の人々には特にお薦めだ。(中略)この本は……教室で起きるフツーの出来事を政治学の視点で読み解く。学園祭の内容を話し合うHRの議論が進まない、校則を押し付けられるといった日常を例に、学校自治について学ぶ格好の教材だ。著者は「他者と共に生きる」ために必要な考え方を数多く提示する。権力や社会契約とはなにか。多数決と民主主義の違いとは。自己責任論は正しいか等々。「10代はきらきら輝く原石」「大切なのは、原石に余計な手を加えず、子どもたちが自ら学べる多様な環境をつくること」だと言う著者の言葉に、私は大きく頷いた。(中略)

NHK朝ドラ「らんまん」。植物学者・牧野富太郎をモデルにしたドラマがすこぶる人気だ。音楽は2021年秋、本校に来て下さった作曲家の阿部海太郎さん。この秋にも来校が決まっている。3冊目は『われらの牧野富太郎』。中でも、牧野に扮する著者のいとうせいこうと仲間たちが牧野よろしく、実際に野原を歩き回る「プランツ・パーティー」の章が圧巻だ。いま、図書館に牧野富太郎特設コーナーが設けられている。是非!手に取ってほしい。

この夏は4年ぶりの国連派遣もある。今月末からオーストリアのウィーンで開かれるNPT=核拡散防止条約再検討会議の準備委員会に本校からも2人が派遣される。1人は4年の松葉悠乃さん。もう1人は5年の池田和音さんで、池田さんは中国新聞やテレビなどでこう語っている。「被爆者の核廃絶を願う強い思いを胸に刻み、それを継承して、世界の仲間と連帯することを目標にしたい」と。

 

私のはなしも終盤。最後は、「忘れてはならないこと」に加え、池田さんも言葉にした「継承」をテーマに話をする。

始業式、私は、ウクライナ侵略に寄せて諸君にこう語った。「戦争の非道は、弱き者に、より重くのしかかる……無力な自分が歯がゆい。でも、私は、世界が戦争をしているからこそ、諸君と共に、平和な社会を創るためにできることをしたいと思う。そして、教員として、君たちにこそ、平和への希望を託したいと思っている」と。

この表紙を覚えているか。小学校の国語の教科書などに使用されていたから、知っている人もいるだろう。海外向けに翻訳もされ、また、いまも朗読会などで使用されている有名な絵本の表紙だ。私も、自分の子どもに読み聞かせをしたことがある。

最近、この本を読んで胸打たれた。『反戦平和の詩画人 四國五郎』。著者は四國五郎の長男の四國光さん。いま提示した絵本の絵を描いたのが四國五郎。三原市出身。名前は本名。

息子の光さんは、この本を出版した動機をこう語る。「あの誤った道をもう一度歩まないために」といちずに筆を動かし続けた父の姿に「戦争をしないため、一人一人に何ができるか。現代へのヒントがあるような気がした」と。

『絵本 おこりじぞう』で知られる父五郎さんは、日本兵として従軍し、シベリア抑留も体験。戻った広島で最愛の弟の被爆死を知る。その悲しみや憤りを原動力に終生、創作を続けた。

「父にとって表現は、芸術を活用した平和運動」と光さん。光さんはこの本の中で、『絵本 おこりじぞう』を通じて、父五郎を次のようにたどる。

「原爆や戦争の、想像を絶する悲惨さを次の世代、特に子どもにどのように(表現して)伝えるか。どのようにして「継承」するか。それは父が最も頭を悩ませていた課題のひとつだった。……『本来描けない残虐な暴力を、いかにやさしく、わかりやすく描くか』というジレンマが常についてまわった。このことについては、父自身が『絵本 おこりじぞう』のあとがきに書いた文章が、父の考え方や信条を一番よく表していると思われる」と。その「あとがき」の一節。

この世でなにがこわいといって核兵器ほどこわいものはない。男女老人子どもの別なく巨大な電子レンジの中へ入れられたように、生きながら焼き殺される。かろうじて逃れた人も頭髪は抜け落ち、歯ぐきから血を流して、やがて死ぬ。 …… 今でも、いつ原爆症が出るかと恐怖の毎日を送っている人があるのだ。これほどこわいことがあろうか。

子どもたちに、こわがらないで最後まで見てもらえて、しかもこのうえなくこわい絵本を描くことはむずかしい。こわいものなど描きたくないのだが、こわいものを地上から無くするためには描かねばならない。

核なき世界の実現のために、被爆の惨劇を「どう後世に継承できるか」。四國五郎は自分で考え抜いて、悩み抜いて、表現した。だから、時代を超えて人々を惹きつける絵本が生まれた。

戦後78年の日本の平和は、まちがいなく被爆者をはじめとする先人たちの身を削った平和を希求する運動のおかげである。被爆者や四國五郎さんや息子の光さんの平和や核廃絶の思いを私たちがどう継承するか。

まもなく、78年目の「8月6日」と「8月9日」がやってくる。「8月8日」には、福山が空襲で焼け野原になった。我が盈進の校舎も焼け落ちた。

盈進の未来、地域の未来、日本の未来、地球の未来を創る主人公は、誰でもない、諸君である。

「ヒロシマ・ナガサキ」の継承は、被爆地広島にある盈進の使命でもある。諸君が、被爆者の思いを継承すること、核廃絶の思想を共有することが、人類にとっての希望だと私は信ずる。

絵本の一部を読んで私の話を終わる。

 

女の子は ゆらゆら ゆれるように ちかづいて

やっと おじぞうさんの ところまで きたが もう いっぽもあるけない

というふうに ばったりと うつぶせにたおれた

 

やがて そのうつろな 目が おじぞうさんの かおを みつけたらしく「かあちゃーん」と

よんだ おじぞうさんの わらった かおが やさしい ははの かおに みえたのだろう

 

「かあちゃん、みずが のみたいよう。みずが のみたいようー」

かわいた 口を けんめいに あけて こう くりかえすのだが まなつの

ひが てりつける やけのはらに みずなど いってきも あるはずはなかった

 

「みず、……、みず……」女の子のこえは しだいに ほそく よわよわしく なってゆく

すると いままで わらっていた おじぞうさんの かおが すこしずつ かわりはじめた

 

口が まいちもんじに むすばれて 目が しだいに ひらかれてきた

それでもまだ グイーッ グイーッと ちからが こめられてきて いまにも

こわれそうに なるまで はりつめると それは まるで なにものかを にらみつける

仁王の かお であった。

 

「……みず……、み……」 女の子のこえが きえそうになる

そのときである みひらいた じぞうの 目に いっぱい なみだが あふれてきた

そして、ボタ ボタ ボタ…………………

ほほを つたって ながれ おちると かたわらに たおれている 女の子の口に

とびこんでいった うっくん うっくん うっくん のどをならして のみつづける

 

ながいこと かかって なみだの みずを のみおわった 女の子は

おじぞうさんの かおを みて かすかに わらった

そして くびを あげて とおくの そらを ながめていた

 

口もとが わずかに うごいて うたでも うたっているよう であったが やがて

がっくり まえにふせると もう うごかなかった

 

そのとき いっぱいに くいしばった じぞうの かおが グラッ-

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