学校法人盈進学園 盈進中学高等学校

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卒業生からのメッセージが届きました

2020年05月20日

盈進のみんなへ

後輩のみんな、元気に過ごしていますか。目まぐるしくて、不安で、終わりの見えない日々にじわじわと疲れもたまっていることと思います。

私が高校1年の3学期、2011年3月11日、東日本大震災が起きました。いても立ってもいられずその7月、先生たちに連れて行ってもらって、仲間と福島を訪れました。新聞記事で読んだひとりのおじいさんに会うためでした。その方は、広島の原爆で被爆して、東日本大震災の原発事故で、人生2度目の放射線被害に悲しむ大内佐市さん(故人)という方です。

高校2年生の初夏、そのときのことを綴ったエッセイ(資料)で私は「放射能は見えないけど、人と人とのつながりはくっきり見えた」と書きました。それは福島の地で見ず知らずの中高生を受け入れ、話をしてくださり、食事を共にし、握手を交わした大内佐市さんとご家族の皆様と直接つながったからこそでした。今、目に見えないウイルスを前に人と人の触れ合いにおいて大切な、それが叶わない現実が悲しいです。

一方で全国各地の新型コロナウイルスに関するニュースを目にするとき、私は中高や大学時代に共に活動した仲間や先輩、後輩、そして出合った大切な人たちの顔を思い浮かべています。心苦しいニュースの向こう側に私の財産を感じる時、笑顔でまた再会したいという希望を重ねています。だからどうか、みんな元気で、今しかできないこと、今だからこそできることをゆっくりでいいからやって、どこかで会いましょう。みんなの活動をホームページで見ながら、盈進で過ごした中高時代を思い出しています。

県外ナンバーの車への嫌がらせ、医療従事者の子どもたちへの差別など「3・11」後を思い出させるようなニュースに胸が痛いです。どうして人は同じことを繰り返すのだろうかと悔しい気持ちになります。中高時代、島田等さんという思想家の言葉に出合いました。「人間は いつ 悲しき病にみまわれるかもしれない だが 悲しき政策はなくさねばならない それは人間自身の手になるものであるからである」。今この言葉の真価が問われていると実感しています。

報道の現場にいると真偽のわからないうわさや辛辣な言葉もたくさん耳にします。みんなもネットやSNSで触れることがあるでしょう。「コロナ禍」とひとえに言うけれど、きっと明るみに出ているのはほんの一部で、報道されることによって共感を生む一方、「自分はたいしたことはない」と苦しみに優劣をつけてしまい、取り残され、追い込まれてしまう人が出てしまうのではないかと感じます。コロナに限ったことではありませんが、何気なく使っている「声なき声」とは何だろう、どう向き合ったらいいのだろうと考えさせられます。だからこそ言葉一つとってもその裏にはどれほどの現実があるのか、想像力を働かせなければならないと自分自身に言い聞かせています。それと同時に、こんな時だからこそ、人の優しさも同じくらいかき集めたいと思っています。大きな政府の助言や政策より、生活を共にする地域の人や家族や仲間の言葉、その人たちの取り組みにきっと明日への活力が湧くはずです。刻一刻と変化する未曾有の事態への正しい答えなんて誰もわからないけど、私たちが自分ごととして受け止めたそれぞれの「答え」や「思い」を持ち寄ることが必要なのではないかと考えています。私も紙面を通していまを生きる人々の姿を丁寧に刻みたいと思います。

 

早いもので社会人生活も3年目になりました。さまざまなことが同時に起こり、めまぐるしく過ぎる日々で対応に追われる中、以前のように一つの出来事を咀嚼して考える時間がなくなっているなと感じることも増えました。でも色んな立場の人との出合いを日常的にもらって、その中で自分はどう感じるのか、そしてさらに大きく言えば自分はどんな風に生きていきたいのか一つ一つの感情を大切にしながら過ごしています。(新聞記者に向いてないなぁと思うこと、幾度も。でもそれ以上にやりがいは大きいです)きっとこの期間のことも後になって、自分の中でどんな意味があったのか前向きに位置づけができるといいなと思います。そんな中で見聞きするみんな(盈進の後輩たち)の活躍は私にとって希望であり、原点へと立ち返らせてくれます。ありがとう。

新しい校舎、まだ入ったことがないので、落ち着いて、学校に行ったらぜひ案内してください!

 

2020年5月18日 山本 真帆

 

*山本真帆さんが高校2年生の初夏に綴ったエッセイはこちら

エッセイ 日本福祉

*山本真帆さんの「輝く先輩!」はこちら

輝く先輩!山本真帆さん

 

○山本 真帆さん プロフィール○

(真帆さんも父も祖父も3代、盈進の卒業生)

2013年 盈進高校卒業

2013年   慶應義塾大学入学(1年間、ドイツ交換留学)

2018年   中国新聞社入社(現在、山口県周南支局勤務)

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