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2025年度 2学期「始業のことば(校長)」

2025年08月21日

始業のことば 校長

 

約1ヶ月の夏休みだった。酷暑は続く。諸君はみな、変わりはないだろうか。

この間、豪雨もあった。九州では広域の冠水被害。死者も出た。タイとカンボジアでは国境を挟んで軍事衝突があった。大阪の飲食店で火災があった。消防隊員2人が亡くなった。胸が抉られる。

この夏もみな、よく活躍した。硬式野球部は県ベスト4。よくやった。感動した。剣道のインターハイが広島市で開催され、女子団体戦の応援に駆けつけた。決勝進出はならなかった。が、四国No.1と全国1位の実力校とほぼ対等に戦った。感動して涙をこらえるのがやっとだった。個人戦も全国ベスト16。なんてすばらしいことか。

陸上もフェンシングも全国の舞台でよく戦ったと報告を受けた。中学水泳の全国大会。その飛び込み。2人とも上位の好成績。1人は全国1位となった。実に素晴らしい。現在、2人はジュニアオリンピックに出場中だ。諸君の未来を応援する。また来年も期待する。

中略

本を読む。スマホでなく、本を読む。

『夜、寝る前に読みたい宇宙の話』。寝る前に宇宙を旅した。読み進めていくと、人と争う現実社会とか、くよくよしたりしている自分とか、とてもちっぽけに思えた。同時に、宇宙の無限大に心が吸い込まれ、元気が出た。

『人の心に木を植える』。宮城県気仙沼のカキ漁師・畠山重篤さんたちの植林運動で海が甦るまでの感動の物語!畠山さんの植林運動のキャッチフレーズは「森は海の○○」。さて、漢字2文字。何が入るか。そう、「恋人」。

この2冊、もっと十分に紹介したいが、時間がないので次回にまわす。

きょうはこれだ。『もしも君の町がガザだったら』。高橋真樹(まさき)さんの本。とても良い本だった。「もしも福山市の町を取り囲むようにしてぐるりと巨大な壁が築かれ、その中に200万人が閉じ込められたとする。物流が止められ、食料がなく、連日連夜の空爆にさらされ、病院も学校も避難所も破壊され、約6万人が犠牲となり、きょうも自分の横で人が亡くなっていったとしたら……」

私は読みながら、そんなことを想像した。

作者の高橋真樹さんはかつてガザに住み、ボランティア活動をしていた。だから、ガザのようすが読者の私にもよく伝わってきた。イスラエルとパレスチナ、ユダヤ人とアラブ人の対立。世間ではよく、それらが歴史的にも複雑で難しい問題だと言う。しかし、この本はとても読みやすい。物語の合間に、現地でのインタビューや写真もたくさん挿入され、どの頁からでも読めるように工夫されている。

主人公は中学1年生の「僕」。「僕の町がガザだったら」と仮定して物語が進んでいく。だから、読者は感情を移入し、パレスチナ問題が、自分の身近で起きていると感じるようになる。「のBooks」の棚に入れるので読んで欲しい。作者の高橋さんは読者にこう問いかける。「ガザでのジェノサイドに沈黙する世界にパレスチナの人々は失望しています。今、声を上げないで、いつするのですか」と。

ことしは「戦後80年」ということばがよく使われる。しかし、それは、世界史的に正しい表現なのかと冷静に考える必要があると私は思う。

なぜなら、朝鮮半島は日本の植民地支配から解放されて80年が経過したのだ。朝鮮半島はその後、1950年から朝鮮戦争があって今も南北が分断されている。もっとアジアを見渡せば、ベトナム戦争があって、ことしはその終結から50年である。

朝鮮戦争で日本経済は「特需景気」で活況を呈し、ベトナム戦争でも日本経済は成長した。日本が戦後に手にした平和と繁栄は、アジアでの争いや犠牲の上に成り立ってきたという視点を忘れてはならないと私は思う。

私たちの祖先は20世紀に2度も世界大戦を経験した。第2次世界大戦では、5千万人から8500万人が犠牲になったとされる。

このようなおびただしい犠牲を払い、それを反省し、紛争と対立は話し合いで解決するとして、国連が創設された。国連憲章は「武力による威嚇や武力の行使」を戒め、「正義および国際法の原則」に従うことを求めた。

しかしいま、世界では法を無視した「力による支配」が広がってきている。先日、トランプ米国大統領は、アラスカでロシアのプーチン大統領と会談した。古代ローマの歴史学者サルスティウスは「戦争は起こすのは簡単だが、やめるのはむずかしい」と言ったが、気になるのは、ロシアに侵略されたウクライナ抜きで領土の割譲が話題になったことだ。これが認められれば、弱肉強食の世界が復活しかねない。

 

日本は太平洋戦争で沖縄戦や原爆、福山も含む各地の空襲も経験し、310万人もの犠牲者を出した。一方、軍国主義のもと、アジア諸国の人々の暮らしと命を奪った。私たちの現在は、その犠牲の上に成り立っているという事実を私たちは決して忘れてはならない。

その悲惨な歴史から、二度と同じ過ちをしないように日本は平和国家の建設を誓った。それは、憲法の前文に結実している。すなわち……

「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有すること」を誓ったのだ。

だからこそ私たちは歴史から学び、過ちを忘れず、この平和への誓いを守り抜かなければならないと私は思う。だが、国内でも、事実をねじ曲げて歴史を美化する動きも出ている。私たちは、加害と被害の両面を正確に学ばなければならない。

きょうは、『歴史から真摯に、謙虚に学ぶ』をテーマに話をする。

7月の参議院議員選挙で、「日本人ファースト」とか「日本人を守り抜く」というフレーズが、瞬く間に世間に広がった。わかりやすく可視化された自己中心の主張に、私はしばらくことばを失った。

社会はさまざまなルーツ、文化的背景を持った人々によって成り立っている。人の命に、ファーストもセカンドもない。出自を理由に異論を受け付けないような主張がまかり通れば、私たちひとり一人の権利が脅かされるに決まっている。

私の親しく、仲の良い在日コリアン、在日チャイニーズ、アフリカン、ベトナムやブラジルの友がそのような言動に接したらどう思うか。想像すると胸が痛む。盈進も多国籍だよ。

SNSの発言は人々の心を刹那的に高揚させる。そして、より刺激的な惹句を求め、スピードを加速させて広がっていく。いま起きている私たちの地域の学校のある問題でもそれがあてはまると私は思う。私はこの現象をとても怖いと感じる。

私が暮らす尾道には造船所があって、ベトナムやブラジルなど、多国籍の人々がたくさん働いている。東京や大阪への出張、ふるさと福岡へ帰省した折に立ち寄るコンビニやスーパーでも、ベトナムやミャンマー等、多国籍の人が働いている。

そう、日本はすでに「移民社会」だ。日本人と外国人が支え合う「共に生きる」社会を構築しなければ、日本は世界から信用を失う。であれば、日本の発展は、ない、と私は思う。

昔(戦前)、都道府県別で、国内最多の移民を送り出してきた県はどこか。

そう、実は広島県なのだ。広島から海を渡った人たちが10万人以上いたんだ。広島県は、瀬戸内海と山に挟まれて耕地が限られた地域が多かった。明治政府による奨励もあって、ハワイや北米、南米などに移り住む人が増えたんだよ。そんな歴史を知り、学べば、外国人と「共に生きる」社会をどうつくるか、それをみんなで知恵を出し合っていくことこそ、大事なことではないかと思えるだろう。

もうすぐ9月1日だ。9月1日は「防災の日」。1923年に関東大震災があった。そこで何が起きたか。パニックの中で、「日本人を守り抜く」といって、朝鮮の人々が次々に殺された歴史については、2年前のこの始業式で話をしたとおりだ。この歴史から学ばなければ、そんな悲劇が再び起こらないとも限らない。そう思うと、私は背筋がぞっとする。

そう、私たちは歴史から真摯に、かつ謙虚に学ばなければならないのだ。

私の父は12年前、80歳で亡くなった。1933年(昭和8年)生まれ。生きていればことし、92歳だ。

父は敗戦を12歳で迎えた。米軍の攻撃機グラマンが地上近くまで降下してきて、機銃掃射。「田んぼに身を隠して逃げたが、危うく死ぬかと思った」ということが2度あったと語っていた。

また、こんなことも言っていた。「自分もお国のために死ぬのはあたりまえだと思っていた。戦闘機に乗って敵を攻撃して死ぬのが名誉だと思って、そのために勉強して身体を鍛えた」と。同時にこんなことも言っていた。「戦争に負けたのは悔しかった。でも本当はほっとした。生まれたときからずっと戦争だった。戦時中も戦後も、とにかく腹が減って、ひもじかった」と。

そして、毎年8月15日終戦の日、私の家はきまって、戦時中の食べ物を再現した。ふかし芋、芋のつるの煮物。正午のサイレンに合わせ、家族みんなで黙祷を捧げた後、お芋と芋づるをほおばったのを覚えている。私は毎年、8月15日はひもじかった。父はそれを私に体験させたのだ。

これはガザ地区での飢餓を伝える写真だ。見るのも辛い。世界保健機関(WHO)によると、全人口の4分の1が飢餓に近い状態だという。母親に抱かれた子は背中の骨が浮き出るほど痩せ細っている。ガザの食糧不足は極限状態にある。イスラエルがガザを封鎖し、食料の搬入を停止したのが原因だ。悲劇を止めるためにイスラエルは直ちに全面的な配給を可能にしなければならない。

80年近くに及ぶパレスチナ紛争に終止符を打つには「2国家解決」(パレスチナを国として承認するということ。イスラエルとパレスチナが独立した2つの主権国家として平和的に共存することを目指す考え方)しかないというのが国際社会の総意であることは確かである。

国連ではすでに、パレスチナの正式加盟を支持する決議が賛成143カ国で採択されている。そして、フランス、イギリス、カナダが9月の国連総会でパレスチナ国家を承認する意思を表明している。

主要7カ国(G7)では初めてのことだ。今後の行方に注目したい。さて、日本はどんな選択をするか。

わが広島。そして長崎。80年前の8月6日と9日。たった一発の原爆で地獄と化した。その年の末までに計約21万人が亡くなった。生き残った人も大けがをしたり放射能の影響で大病を患ったりした。心にも傷を負い差別と偏見にさらされてきた。その地獄を体験した「当事者」がいなくなりつつある今、私たちは何をすべきか。

被爆者たちの最大の願いは「誰にも自分と同じ思いをさせてはならない」という復讐と敵対を超えた素朴で崇高な思想に裏打ちされた世界平和である。直野章子・京都大学教授は、「憲法第九条の堅持や核兵器禁止条約への加盟など、不戦と核廃絶への決意を国内外に示すこと」も、国の責任として大切なことだと語る。

歴史を正確に学び、被害や加害の両面に、真摯に向き合うとともに、戦争のない未来に向けて行動する。それが、被爆者の願いに応えることであり、被爆地に暮らす私たちの責務だと私は思う。

8月6日、広島平和記念式典の「あいさつ」で、湯崎英彦広島県知事は、「法と外交を基軸とする国際秩序が様変わりした」と指摘。「むき出しの暴力が支配する世界へと変わりつつある」とし、「核兵器廃絶を実現しなければ、死も意味しうる」と述べた。

 

そして、核抑止(核を持つことによって核戦争を思いとどまらせるという考え方)はフィクションと断じ、核抑止がますます重要だと声高に叫ぶ人たちがいるとしたうえで、「本当にそうなのか?」と疑問を投げかけてこう主張した。

「(核)抑止は自信過剰な指導者の出現や突出したエゴ、高揚した民衆の圧力などで崩れる」と。

そして、湯崎知事は最後に、こう呼びかけた。

「這い出せず、あるいは苦痛の中で命を奪われた数多くの原爆犠牲者の無念を晴らすためにも、我々も決して諦めず、粘り強く、核兵器廃絶という光に向けて這い進み、人類の、地球の生と安全を勝ち取ろうではありませんか」と。

これは、2017年12月、核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)のノーベル平和賞授賞式で、広島の被爆者、サーロー節子氏のスピーチからの引用だった。

“Don’t give up!  Keep pushing!  See the light?  Crawl towards it.”

「諦めるな。 押し続けろ。光が見えだろう。そこに向かって這っていけ」。

日本は、国として「非核三原則」を正式な見解としている。すなわち「核を持たず、つくらず、持ち込ませず」。日本は、憲法で戦争放棄をうたい、核を持たないから世界から信用されていると私は思う。「核に頼らない安全保障」。その信用と信頼こそが日本の真の強さなのではないのか。

盈進の大黒柱は建学の精神「実学の体得」(社会に貢献する人材の育成)。それに基づく盈進共育のベースは、「平和・ひと・環境を大切にする中高一貫の学び舎」。さあ、いちばん長い2学期。行事もたくさんある。学習する時間もたっぷりある。常に、「平和・ひと・環境を大切にする」ことを意識して、仲間と共に、自分の頭で考え、自分から行動に移し、大きく飛躍して欲しい。そのために、毎日健康で、一日一日を大切にしてほしい。

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