学校法人盈進学園 盈進中学高等学校

ホーム最新情報2023年度 高校卒業式 校長式辞

最新情報

2023年度 高校卒業式 校長式辞

2024年03月02日

高校卒業式 校長式辞

「仲間と共に」~創立119年の変わらぬ伝統~

 

前略

保護者のみなさま、本日はお子さまのご卒業、誠におめでとうございます。

あわせて、これまで本校に対して多大なるご理解とご支援を賜り、心から感謝いたします。

諸君、卒業、おめでとう。別れは、実にさびしい。諸君と交わしたおはよう、こんにちは、さようなら、元気か、元気です。これらの会話が、明日の日常から消えると思うとやはり、とてもさびしい。

君たちは「未来からの留学生」である。わたしたち教職員はそう信じている。だから、わたしたち教職員は、そのかけがえのない君たちが激変かつ混沌とした未来を、何事にも怖じず、生き抜くために、真のチャレンジャー、そして真のパイオニアになるよう、その生活と学習の環境を整えることに尽力してきたつもりである。不十分であったかもしれない。それは申し訳ないと思う。だけど、わたしたちは常に、君たちと「共にありたい」と願ってきた。

コロナに日常が制限されるようになって4年が経過した。会いたい人に会えない日もあった。運動会、各種の大会やコンクール、感謝祭も十分にはできなかった。悔しさも残るだろう。でもみな、よくがまんして、後輩たちに範を示し、引っ張ってきてくれた。ありがとう。

そんな日々にあっても諸君は、勉学や学級活動、クラブ活動に励み、よく努力した。高校3年間、剣道部、フェンシング部、硬式野球部、水泳部は全国大会に出場を果たした。

それ以外のクラブも、文化部も含めて中国大会や広島県の上位レベルで活躍した。先ほどの表彰がそれを物語る。誇りに思う。諸君こそが、新しい盈進、新しい未来をつくるチャレンジャーあり、パイオニアのリーダーだったことは間違いない事実である。

コロナで心身が疲れた。そして、日常が大きく変わった。何もかもデジタルとなった。政治的バランスや経済も変わった。能登半島地震による被災者のことを決して忘れてはならないと思う。ウクライナやパレスチナで死傷者が増え続けている現実に胸が抉られる。世界のいたるところで、抑圧や弾圧が続き、自由や平等、人権や民主主義、法の支配といった普遍的価値さえ、その本質が見えにくくなっているばかりではなく、いまや心もとない。そしていま、核の脅威や気候変動の問題(環境破壊)は人類生存の危機であると、日々の暮らしの中で意識せざるを得なくなった。

コロナ禍で、感染者やご家族、医療従事者やその子どもを含むご家族等への心ない差別が報じられた。病気を「正しく怖れる」べきであることは言うまでもないが、コロナ禍での最も貴重な学びは、怖いのは、誰にでもある「人を差別する」という人間の弱い心であること。そのことを自覚し、その弱い心を制御して、誰にでも平等に接することの価値を見つめることではなかったか、とわたしは思う。わたしたちは、予測できない危機に遭遇し、激変の時代だからこそ、傷ついたり困ったりしている人々のことを忘れず、隣にいる人と、そして、世界の人々と、「共に生きる」という視点を失ってはならない。

 

いま、世界は戦争中である。ウクライナやガザがそうである。しかし、それだけではない。アフガニスタンの苦難、シリア紛争、ミャンマーの圧政など、世界のあちこちで権威主義と独裁者たちが人権と平和を侵害し、民主主義を踏みにじっている。そして能登半島地震も、難民問題も、子どもの貧困も、政治の劣化も、もうすぐやってくる「3・11」後13年目のこの国のありようもすべて、わたしたちの日々の暮らしと結びついている。社会で起きているすべては他人事ではない。自分が、世界の平和や人権の確立にどう貢献できるかという命題は、わたしたちすべてに課せられている。第二次世界大戦、太平洋戦争でおびただしい犠牲を払ったわたしたちは、わが憲法に則り、決して戦争はしてはならない。人を差別してはならない。ウクライナやガザで「怖いよ。死にたくないよ」と泣きじゃくる子どもたちを見て、思わず涙がこぼれそうになるのはわたしだけではあるまい。

3年前の入学式で、わたしは諸君にある本を紹介した。黒柳徹子さんの『窓際のトットちゃん』。トットちゃんこと黒柳徹子さんは国連ユニセフ親善大使も務め、紛争や貧困にあえぐ世界の子どもたちに慈愛の手を差しのべる心やさしき人である。

幼い頃のトットちゃんは、授業中に小鳥と会話する少し風変わりな少女だった。だから、学校を辞めさせられて、別の小学校に通うようになった。時は日本が太平洋戦争に負ける少し前である。

転校の日、トモエ小学校の校長先生は、トットちゃんの話を4時間も聞いた。そしてそっと、トットちゃんにこう言った。「君は、本当はいい子なんだよ」。このことばが、トットちゃんこと、黒柳徹子さんの人生を支え続けた。トモエ小学校には、障がいのある仲間もいて、みんな仲がよかったと、黒柳さんは記している。わたしは、台湾のデジタル大臣オードリー・タンさんのご両親が、世界中に翻訳されていた『窓際のトットちゃん』を読み、オードーリー・タンさんとトットちゃんに通ずる、その人にしかない才能と個性を信じ、見守ったというエピソードを交えて、諸君に次のメッセージを送った。

「自分が大切にされた。だからあなたも大切にされる。誰もがみんな大切な人。諸君もみな、ご家族にとって、仲間にとって、わたしたち盈進の教職員にとって、かけがえのない大切な存在だ。諸君はみな、必ず素晴らしい能力がある。盈進で自分と仲間を好きになり、学習でもクラブ活動でも、とことん好きなことを見つけて、やり抜いてほしいと願う」と。そして、「Where there is a will, there is a way.」(意志あるところに道は開ける)と。(このようにメッセージを送った)

それから3年。90才の黒柳さんは、『続・窓際のトットちゃん』を出版した。すぐに読んだ。そして、こんな一節に目が留まった。

「防空壕の隙間から空を見上げると、空が一面まっ赤にそまっているのがわかった。焼夷弾が落ちて火事になって空が赤くなる……その夜の空は恐ろしいほどの赤さだった」。

トットちゃんが体験した1945年3月の東京大空襲の光景だ。わたしは、わたしの故郷・福岡博多の母から、子どもの頃に聞いた福岡空襲のようすと、現在のウクライナやパレスチナ・ガザの光景が交差して、しばらく次の頁をめくることができなくなった。

先日も、病床に伏せる母を見舞い、すっかり痩せてしまった手を握り、体をさすった。母は、1933年(昭和8年)生まれ。黒柳徹子さんと同い年の90才。黒柳さんと同じ戦中と戦後を生き抜いた。もう、普通に声も発することもできなくなった母を心から愛おしく思う。

その母との幼い頃の思い出。食べ物が何だったかは思い出せない。が、いつもやさしい母が突然、食べたくないと駄々をこねるわたしの頬を涙目ではたいた。いまもはっきりと思い出せる。「食べ物を粗末にしたらバチがあたる。戦争中は、なんも食べ物はなかったと。博多の町は、花火んごと、ぱちぱち、まっ赤に燃えて、なんもなかったとよ。そんころはみ~んな、お芋の茎ば炊いて、それをがまんして食べて生きたと。食べ物があるだけで幸せたい」。いま、それが、母からの大切な教えだったと、ただただ、ありがたいと思う。

11才のトットちゃんは、空襲のまっ赤な空の明るさの下、ランドセルから本を出して読んだことや、食料の大豆が残り少なくなったが、もうすぐ死ぬかもしれないから、いま食べちゃおうかと悩んだ、ということも本に書かれている。黒柳さんは、ウクライナ侵攻に胸を痛め、自分の戦争体験をまとめておこうと決心し、『窓際のトットちゃん』の続編を執筆した。そして、出版された数日後、中東パレスチナ、ガザの空の色がまっ赤になった。

 

先月末、ロシアのウクライナ侵攻が3年目に入った。両国あわせて19万人の戦死者が出ているという。ロシアに攻撃されているのはウクライナだけではない。ロシア国内の自由な言論であり、国際社会の秩序であり、わたしたちが平和に暮らす生存権であることを見逃してはなるまい。

ウクライナの詩人、オスタップ・スリヴィンスキーさんは、住民や避難民から直接、戦時下の日常を聞き取り『戦争語彙集』としてまとめた。

読書は、それを書いた者やそこに描かれた人物、そしてその人たちを通して見える自分自身との沈黙のうちに営まれる、ときに苛烈にさえなる無言の対話であるとわたしは思う。この本には、とてつもない暴力の恐怖の中にあることばの数々が横たわる。が、正直に言えば、わたしたちの日常とあまりにかけ離れすぎている戦争という現実を、わたしは理解するのにとてももがいている。しかし、わたしたちは、この現実から目を背けるわけにはいかない。

もしも、ロシアが利益を得れば、それに続き、力と恐怖が支配する世界が現れる可能性がある。そうなれば、わたしたちの現在の社会も大きく破壊されるからである。

『戦争語彙集』から、キーウに暮らすマリーナさんの証言を引く。タイトルは「恋愛」。

レストランでのデート。テーブルにはろうそくの灯り。夢見ていたとおりの時間。だが、ほどなく砲撃が始まる。レストランは閉まり、やがてすべてが営業停止。彼は、ミサイル部隊に入っているから、今度は前線に配属される。わたしたちはさよならを言わなければなりませんでした。

いまも、世界中で多くの市民が殺されている。許せない。そしていま、わたしたちのすぐ近くで、悲しい思いをしている人がいる。だが、それらすべては対岸の火事ではない。「あなたに起きることはわたしにも起きる」のである。

どうすれば戦争を止めることができるか。どうすれば、人々の悲しみがわずかでも少なくなるのか。どうすれば、人々がいがみ合わず、支え合いながら「共に生きる社会」を築くことができるのか。どうすれば、人が人として尊重され、差別されず、幸せに生きることができるのか。どうすれば、すべての人が、明るく元気に暮らすことができるだろうか………。大学での学問や社会での仕事は、結局はすべて、これらのことを探究、追求するためにある、とわたしは考える。

 

諸君はこの盈進で日々、仲間を大切にし、学習やクラブ活動などで努力を重ね、たくましい知性と、しなやかな感性を自らに宿してきた。仲間との信頼や仲間と力を合わせて困難に打ち克つ精神力も培ってきた。「未来からの留学生」の諸君は、それらすべてを身にまとって、元気に未来に帰ってほしいと願う。諸君は、この地域の、この国の、この世界の未来であり、明日であり、希望である。

いま、ここに諸君がいることがすでに奇跡であり、諸君がいるから、わたしたちは、明日に希望を持てるのだ。よくぞ、ここにいてくれていると思う。諸君の存在に心から感謝する。

地域に冠たる伝統校、わが私学盈進の合言葉は119年間、ずっと変わらず「仲間と共に」。

それは、「共に生きる」と同じ意味である。建学の精神「実学の体得」~社会に貢献する人材となる~のもと、仲間との絆を大切にしてきたからこそ、119年の歴史が紡がれ、わが盈進はここにある。

諸君。盈進を離れ、それぞれの場所で、また新しい仲間と出会い、その仲間を大切にし、厚い友情を育んでほしい。しかし、苦しかったり、悲しかったりしたときこそ、“盈進”で結ばれたかけがえのない仲間たちと語り合い、支え合ってほしいと願う。それがまた、盈進の歴史と伝統をより強固にすると確信する。

これからが「盈進、盈進、ほこれよ盈進」の本番である。盈進で学び鍛えたチャレンジャー精神とパイオニア精神を発揮する本番はまさにこれからである。

「平和・ひと・環境を大切にする」心を忘れず、時に「盈進共育」~仲間と共に、自分で考え、自分で行動する~を思い出し、社会や人々のために、それぞれのすばらしい能力を存分に発揮してほしい。そして、どうか、自他のいのちとこころと健康を何よりも大事にして、元気に、明日と未来を生き抜いてほしいと、切に願う。 終わります。

最新情報

TOP