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2023年度 3学期「始業のことば(校長)」

2024年01月09日

始業のことば

諸君、どんな年末年始だっただろうか。2023年の年の瀬も、ロシアによるウクライナへの攻撃と、イスラム勢力ハマスとイスラエルとの激しい争いによる死傷者情報が飛び交っていた。私は、子どもたちの泣き顔が脳裏から離れなかった。12月22日、終業のことばのテーマを「死を通していのちを考える」としたが、まさに自ずとこのテーマを意識しながら胸を痛める年越しとなった。

諸君、改めて「あけましておめでとう」。だが、このあいさつもむなしく聞こえる年明けとなった。元日より、石川県の能登半島を震源とする大地震が列島を震撼させた。多くの人が2016年の熊本地震や2011年の東日本大震災、1995年の阪神淡路大震災を思い起こしたことだろう。

そこには、君たちと同じ若者もいる。受験生もいる。お年寄りも、病気の方も、障がいのある人もいる。この寒さ、とても体にこたえるだろう。感染症も広がりを見せている。あまりに酷だ。

ようやくコロナ明けの通常の正月だった。家族団らんの元旦が突然、途切れた。潰れた家、救助を待つ人々、増える死亡者数。歴史を誇る輪島の朝市の舞台は焼け野原になった。怖かったし、いまも余震で怖いだろう。寒いだろうに、不安でしょうがないだろうに。道路、電気、水道、通信といったライフラインの寸断は、救助に支障をきたし、被災者のいのちを左右する。避難所生活を強いられる人は硬い床の上の生活で疲弊してしまうだろう。被災地から届けられる泣き顔に私も思わず涙ぐむ。亡くなられた方々のご冥福をお祈りすると共にご家族や被災者の方々に心よりお見舞い申し上げる。今後、わたしたちにできることを諸君共に考え、行動に移したいと思う。

1月2日、羽田空港で日航機と海上保安庁の航空機が衝突し、機体が炎に包まれる事故も衝撃だった。海上保安庁の職員は、北陸被災地に物資を届ける任務にあたっていたという。日航機の乗客乗員は全員が無事だったことには心底、安堵したものの、殉職された海上保安庁の隊員の方々とご家族のことを思うと胸が痛む。心からご冥福をお祈りする。

まずは北陸の被災地被災者に向けて、また殉職した海上保安庁の隊員の方々に、みんなで1分間の黙祷を捧げよう。黙祷。…… …… ……

私たち盈進につどうすべての者は、建学以来不動の精神「実学の体得」(社会への貢献)を基軸とした「平和・ひと・環境を大切にする中高一貫の学び舎」という学校の基調および盈進共育「仲間と共に、自分で考え、自分で行動する」ことを常に自覚し、困ったり、苦しんだり、悲しんだりしている人々のことを決して忘れることなく、それぞれのかけがえのないいのちと、それに与えられた能力を最大限に生かし、世界や地域の人々と「共に生きる社会」の構築に向けて努力し続けなければならないと改めて思う。

6年生諸君、週末に共通テスト、そして一般入試の時がきた。追い込みだ。健康に留意し、最後まで仲間と声を掛け合い、仲間と共に目標を貫徹しよう。下級生は6年生の姿に学び、高い目標に向かって学習もクラブ活動も毎日毎日、やるべきことをコツコツと積み重ねて努力しよう。

 

きょうは「訂正する力」をテーマに話をする。この本。東浩紀(あずまひろき)という批評家の本。東は、東京大学と大学院で哲学を学び若くして大学教授も務めた。しかし、閉塞的な大学のあり方に失望して大学を辞し出版社を起業。その後、カフェや動画配信サービス事業を手がける会社の経営者となった。私が東に魅力を感じるのは、フランス哲学者のルソーや、日本の政治学者の丸山真男などの思想に裏打ちされた高い教養と多角的な視点の持ち主であること、そして、「ゲンロンカフェ」を主催し、常に他者の意見を聞き、現代を自分で考え、自分の発言に責任を持って行動しているからである。

「ゲンロンカフェ」とは、言論のカフェ。話し合うカフェ。対話、対談のカフェである。政治、経済、ジャーナリズム、哲学、思想、科学、アート、サブカルチャーなど幅広い話題で、対話、対談する。そして、参加者それぞれが、生きるとは、民主主義とは、AIと未来はどうなるか等々を考える。この本「訂正する力」にも「ゲンロンカフェ」の実践や経験が随所に生かされている。

東の言いたいことは端的に言えばこういうことだと私は思う。

……世の中にはいろんな人がいる。そして人はいろんな価値観で生きている。それがあたりまえのことなのだが、現代の人や現代の人々がつくる組織や共同体は、「正しい」とされる価値観に縛られていて柔軟性がなく硬直的である。だから現代社会の分断は深刻なのだ。政治や宗教は鋭く対立し、自らが正しいと主張して争う。(ウクライナ戦争もパレスチナの紛争もあてはまる)。しかし、人は必ず誤る。過ちをおかす。「人は誤る」という価値を認め、誤れば訂正することを前提に、人と人が対話し、自分や統治者の誤りを絶えず正すという「訂正の可能性」が現代に求められている。

東は説く。「ひとはわかりあえない」と。親は子を、子も親を、夫婦も、友人も結局は理解できないと。でも、だから、互いに思い込まず、訂正する可能性を前提に、理解しようとする「対話の空間」が必要なのだと。だから東は「ゲンロンカフェ」で対話と議論を続けているのだ。

私は、東の主張に「なるほど」と頷く。変わらぬ信念は必要だ。時代の潮流に安易に流されてはいけない。でも一方で、信念を貫くためにも、他者の意見を受け入れたり、新しい時代の要請に応えたりする寛容性と、自分が「正しい」と思い込んでいることが「誤っているかもしれない」という可能性を絶えず認め、訂正する柔軟性は持ち合わせていなければならないと思う。つまり、「面倒でも対話を」しなければならないとこの本を読んで、私は改めて思った。

この指摘は私たちの日常においても大いに参考になる。いま、自分がしている学習習慣も生活習慣も「誤っているかもしれない」可能性がある。学習やクラブ活動において、また、友だちづきあいなどにおいても、「上手くいっていない」と感じることがあれば、自分が「正しい」と思い込んでいるからかもしれない可能性があるということだ。もしそうであれば、誰かと対話し、誤りや過ちを見つめ、訂正すればいいのである。そうする方が実は、毎日がそれまでより楽に、そして楽しく生きられると私は思う。…… 中略 ……

できるだけ8時間睡眠に努め、脳を休める。そうして、集中力を高め、より集中して、授業にも家庭学習にも、試験前のクラブ学習にも、日々のクラブの練習にも試合にも、……心を込めて打ち込む。後輩たちを徹底してかわいがって、後輩たちの手本となる。それは他でもない。誰でもない。君が、そうなる。そういったひとつひとつが大切なのだ。ひとつひとつに心を込める。そのひとつひとつを確実に毎日やるんだ。「雨だれ石を穿つ」と言うではないか。…… 中略……

 

2024年。私も「対話」を意識して実践しようと思う。教職員の仲間と。生徒のみなさんと。

そして自分と。凝り固まった頭や心を寛容かつ柔軟にするためにも、ジャンルを超えて本を読み、自分と対話しようと思う。…… 中略 ……

この年末年始に読んだ本の中から3冊紹介する。

最初に、君たち若者にも人気のミステリー作家と聞いて知念実希人の『崩れる脳を抱きしめて』。あっという間に引き込まれてあっという間に読み終えた。作者の知念実希人は沖縄出身で2011年、「ばらのまち福山ミステリー文学新人賞」受賞をきっかけに作家デビューを果たした。この『崩れる脳を抱きしめて』だけではないようだが、医師の資格を持つ作者だけに、医学的な教養をベースにした構成となっている。福山の鞆の浦も広島市の平和公園も登場する。登場人物が語る広島弁や備後弁にほほえみつつ、「あれれ、いやいや、そうだったのか」の連続で、その小気味いい展開に人気の秘密があるのだと思った。…… 中略 ……

『さみしい夜にはペンを持て』。作者は古賀史健(こがふみたけ)。すでに彼の本は他に読んでいたが、枕元に置きっぱなしにしていたこの本を大晦日に読んだ。主人公はタコのタコジロー。海の世界の中学生。日ごろから同級生や家族となんだか上手くいってない。偶然出会ったヤドカリのおじさんに悩みを打ち明け、日記を書くことをすすめられる。海の中で展開される物語は切実だが、とてもリズミカルで読みやすい。自分のことばを持つことで人は、ほんとうに自由になれるのだ。「ぼくは、ぼくのままのぼくを好きになりたかった」とタコジローのつぶやきからはじまる本書。さみしい夜があるのなら、書いて、ことばにすることで、人生は変えられると教えてくれる一冊だ。「書くことは考えること」。これは、盈進読書科のテーマでもある。いま、上手くいっていない自分があるなら、この本を読み、いまの自分を訂正すればいい。きっとペンを持つとさみしい夜が訂正されて、楽しい夜、楽しい毎日に変わるかもしれない。

『アンビシャス 北海道にボールパークを創った男たち』。…… 中略 ……タイトルのアンビシャスはもちろん、現在の北海道大学の前身、札幌農学校初代教頭だったクラーク博士が学生に言ったことば「Boys be Ambitious」からとったものだ。Ambitiousは大志。北海道を開拓した屯田兵らのフロンティア精神(先取の気質)にも通じる。

プロ野球の球団・北海道日本ハムファイターズは昨年、本拠地球場(ホーム球場)を、札幌市が所有する札幌ドームから、北海道日本ハムファイターズが自前で所有する「エス・コン・フィールド北海道」へと移した。…… 中略 ……球場を中心とした複合施設(ボールパーク)を創り、そこに人々が集まり、人々が豊かに暮らす街づくりを念頭に置いた壮大な構想を描く人々の夢とその実現に向けた信念と行動がたまらなくかっこよかった。そして、年間の半分が雪で覆われる北海道にあって、開閉式屋根の下には天然芝のグラウンドが現れる。困難にぶちあたっては訂正を重ねる。できないことを嘆くのではなく、できなければ訂正し、できることを探してまっすぐに前進する人々の姿に胸を打たれた。「いつかお前もここに来いよ」と「エス・コン・フィールド北海道」が私を誘った。

 

最後に。今年最初の「問え、悩め」。一緒に考えよう。

…… 中略 ……これは昨年2月18日土曜日の新聞の広告だ。はてさて、上のカッコにはどんな見出しがあるのだろ。中抜きのカッコには3文字が入る。

この3年間で、母の認知症とも重なり、最もすてきだと私が感じた新聞広告だ。「AC JAPAN」の広告。「AC JAPAN」は広告を通じて提言を発信し、住みよい社会の実現を目指す団体。その学生グランプリ作品。周りと話し合ってごらん。…… …… ……「バスの[ 来ない ]バス停」

下の文章(説明書き)を読んでみる。「ドイツのとある認知症の介護施設では徘徊老人の対策で頭を痛めていました。ある日、職員の一人が『徘徊してしまう老人のほとんどはバスや電車などの公共交通機関を利用したがる人が多い』という傾向があることに気づきました。そこで職員は施設の前に『バスの来ないバス停』を設置しました。『家に帰りたい』という老人に対し、『そこにバス停があるので、バスが来るまで待たれてはどうですか?』とバス停に案内し、五分ぐらいした後に『バスが遅れているようですから、中でコーヒーでもどうですか?』と言うと、老人は素直に戻るそうです。日本でも『バスの来ないバス停』を設置している施設があります。

2025年には五人に一人の割合になると言われている65才以上の高齢者の認知症。認知症の方々の命と尊厳を守る『優しい嘘』について考えてみませんか」

かつて世間は「認知症」とは言わなかった。「ぼけ老人」や「痴呆症」と言っていた。しかし、当事者の尊厳を守るため、社会運動が起き、呼び方を変えるようになった。それが「認知症」。私は、有吉佐和子の小説『恍惚の人』を学生時代に読んで、社会問題としての認知症を知った。そして自分の認識を訂正し、「ぼけ」や「痴呆」ということばを意識して使わなくなった。

現在は、認知症基本法もある。その法律の名称には「共生社会の実現を推進するための」という文言が入ったのが特徴だ。新しい薬も開発され、治療の転換点になると期待されている。

認知症の問題も、その都度、誰かが声を上げ、誤りを訂正して、現在に至っているのである。

2024年も、大なり小なり、誰にでも困難が訪れるだろう。だが、諸君。間違いや失敗は誰にでもある。そのときは訂正すればいいだけである。

「エス・コン・フィールド北海道」のファイターズの球団事務所。スタッフが毎日見る壁にこんな英文が掲げられている。In the beginning, no one believed the project had a chance.

「最初は誰も、できると思っていなかった。」…… 『アンビシャス』を読むと、どうしてファイターズの監督が新庄剛志でなければならなかったのかも腑に落ちた。

『アンビシャス』に登場する川村祐樹さん。「エス・コン・フィールド北海道」を北広島市という札幌郊外の小さな街の将来を思い、誘致するために人生をかけて奔走した北広島市の市役所職員。かつて甲子園に出場した経験もある。彼のことばが年末からずっと、私の頭から離れない。

「できないことにできない理由を整理するのではなく、あらゆる可能性を追求し、その方向性を見出す」。

いま、東日本大震災の被災地、福島の川俣町と宮城の岩沼市を生徒たちと5度訪ね、支援のお手伝いをしたり、被災者の方々と交流したりした日々を思い出している。北陸でご家族や友人の安否をずっと心配する方々。ご家族や友人の死亡に涙する人々。避難所で苦しい生活を強いられている被災者の方々を思い、涙をこらえる。ほんとうはいますぐにでも駆けつけたい。北陸の方々に思いを寄せながら、2024年の諸君とご家族の健康と飛躍を念じて、終わります

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