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2023年度 入学式 校長式辞   

2023年04月06日

テーマ「仲間と共に! Be a challenger、Be a pioneer」

 

盈進坂300本の桜が、新緑の葉っぱ交じりに、みなさんを歓迎しています。新入生のみなさん、入学おめでとう。保護者のみなさま、お子さまのご入学、誠におめでとうございます。数ある中から私学盈進を選んでいただき、心から感謝申しあげます。

わが私学盈進は、創立者藤井曹太郎先生によって1904年(明治37年)に創立され、今年で119年目を迎える、全国でも屈指の伝統の私学である。この間、わが盈進は、幾多の戦争と、激動の時代を乗り越え、いま、ここにある。

政治、経済の世界をはじめ、法律、スポーツ、芸術の世界など、あらゆる分野で活躍する卒業生約3万人が母校盈進と諸君を見守っている。福山、府中市の企業の約70%が盈進の卒業生、あるいは関係者が会長や取締役など最重要ポストに就いておられる。まさに、地元の経済界を支え、発展させてきたのは、わが盈進の同窓生であると言っても過言ではない。

この119年の間、校舎も、東町の製糸工場跡からはじまり、三吉町校舎を経て、1972年(昭和47年)に、この千田町へ移転した。以来、今日まで約50年が経過したが、4年前、高校校舎を新築、中学校校舎を改築し、読書環境やICT環境も整えた。その後、新グランドもすべて完成し、諸君は、全国に誇るどこにもない、極めて機能性の高い校舎で学習できる。

諸君は是非とも、この歴史と伝統を深く自覚し、盈進生として常に、他者への感謝を忘れず、とりわけ、社会的に弱い立場にある人たちの痛みを感じ、「共に生きる」気持ちを持ち、謙虚に、そして誇り高く生活してほしい。盈進の教職員はみな、心を合わせて、諸君を心から愛する。愛することは支え合うこと。「共に学び、共に生きる」ことである。

この3年間のコロナの社会状況は、国境を越えたglobalな現代に生きるわれわれ人間が引き起こした人間社会の矛盾だ。大切な人に会えないのは本当に辛かった。だから一期一会、出合いを大切に、と私は言いたい。

いま、ウクライナの戦火の中で、怯えながら恐怖と欠乏にあえぎ、悲しむ人々を思うとき、誰もが、胸をかきむしられることであろう。だから、いまこそ、ひとりひとりが、ひとりの人間として、毎日をどう過ごすか、そして「どう生きるか」、自分自身が問われている。

 

これから、「仲間と共に! Be a challenger、Be a pioneer」というテーマで話をする。

「仲間と共に、挑戦者、開拓者になろう」という意味である。

諸君、学校生活で最も大切なものは何か。それは「仲間」だと私は信じる。かけがえのない仲間がいれば、喜びも痛みも分かち合える。だったら、学習も、クラブも、行事も必ず楽しい。

だからとことん、いま出合った仲間を大切にしてほしい。心から信頼できる仲間をつくってほしい。みな、明るく元気に笑顔であいさつをして、相手を敬い、「生涯の友」をつくってほしい。

盈進には、「eスマイル宣言」という、どこの学校にもない、生徒自らがつくった、ひとりひとりが尊重され、仲間を大切にするためのルールがある。それに従って日々、生活しよう。

盈進の建学の精神は「実学の体得」。すなわち「いかなる時代であっても社会に貢献する人材となる」である。そのために、自分はどんな人になるか、どんな職業に就き、どのように社会に貢献するかを、常に自分に問うて、悩む。将来のことを仲間と大いに語る。語ってはまた悩む。その「問うて悩む」プロセスと時間が自分を鍛える。そして、夢を大きくし、目標を高くしてくれると私は確信している。進路目標は、本日配布される『輝く先輩』の冊子を大いに参考にして、高い目標を建て、妥協せず、日々努力してほしい。

盈進は、「基礎学力の向上」はもちろんのこと、教育の大きな柱に「クラブ活動」を位置づけている。クラブ活動は、キャプテンや部長を中心とした生徒主体の自主的、自発的な組織である。中高一貫のよき先輩・後輩の関係性の中で、全人格の形成に資する責任感、忍耐力、協調性、共感力、思考力等々、社会に貢献するための大切な力を育む。

昨年は6月、神辺にて、音楽部を中心に、応援部や放送部、ヒューマンライツ部も交えて、すばらしい地域貢献活動を行った。剣道部、フェンシング部、硬式野球部は全国大会の出場を果たした。中学女子バドミントン部は2年連続で中国大会へ出場した。それ以外のクラブも中国大会や広島県の上位レベルで活躍した。文化部も全国レベルの評価を受けた。人権作文は全国1位の内閣総理大臣賞を受賞した。北校舎にはためく懸垂幕がそれを物語る。諸君も是非クラブ活動で心身を鍛えてほしい。

だが、クラブ活動は、結果を求めてやるものではない。あくまで、その目的は、人間性を鍛えること、大好きなクラブ活動を通して、仲間と友情を育み、部員相互の信頼や絆を結ぶこと。それを育むプロセスの充実が、高い成果に結びついているということを忘れてはならない。

諸君、社会は急激に変化している。だから本を読む。読書は「自分で考え、自分で行動する」ための多様な価値観を学ぶためにある。読書は、人生のすべてが単純ではないと教えてくれる。そして、その学びの向こうに「仲間と共にどう生きるか」という知恵と哲学を授けてくれる。

読書は、一人で行う孤独な営為である。だがそれは常に、自分との、あるいは「誰か」や「何か」との対話である。本からことばを受け取り、感情が豊かに耕され、そこからそれまで知らなかった世界へと視野が広がっていく。そして自ずと自分が使うことばに責任を持つことを覚える。ことばに責任を持つことは、自分と他者をいたわるということでもある。

いま、大学は、激変する答えのない時代を生きるための力、すべての学習の土台としての「読解力」と「論理的思考力」を求めている。私は、ものごとを“複眼的に考える力”が真の読解力や論理的思考力だと考えているが、それらの力を身につけるためには、日頃からの読書体験が不可欠なのだ。

 

先日、私の青春時代の象徴的存在で、世界的に著名な音楽家の坂本龍一さんが亡くなった。彼は、平和、人権、環境問題にも亡くなる直前まで声を発し続けた。その少し前には、戦争体験を原点に、福山出身の作家井伏鱒二の作品『黒い雨』の朗読をライフワークにしていた俳優の奈良岡朋子さんが、そして同じく尊敬するノーベル賞作家の大江健三郎さんが亡くなった。私は歴史学を専攻する学生の頃、難解と言われる大江文学を背伸びしてよく読んだ。中でもこの『ヒロシマ・ノート』と『沖縄ノート』には大きな影響を受けた。

『ヒロシマ・ノート』の一節である。少し、ことばが難しいので、私なりに意訳する。

「偶然にヒロシマの原爆をまぬがれ、生き残った私たちは何をすべきか。私たちはひとりひとり、人類最初の被爆地・広島をもつ日本に生まれ育った人間として、また、被爆という人類最初の体験をした広島をもつ世界の人間として、その自覚の上に、二度とヒロシマの悲惨さを繰り返さないために、広島で起きた被爆の実相に向き合わなければならない。そして、それを実現しようと思うなら、広島がどのようにしてあの悲惨さから立ち上がり、人間性を回復させ、世界平和の構築に貢献してきたかというその歴史を学ぶことこそが、人類生存のための核兵器廃絶への道筋である」。歴史学を専攻した私がもっとも納得した一文であり、私はいまも、この一文にしたがって、ひとりの人間として「1945、8・6のヒロシマ」と向き合っているつもりだ。

そしていまから15年前の2008年夏、建学の精神に則った「平和・ひと・環境を大切にする中高一貫の学び舎」という本校の教育の基調に従って、諸君の先輩たちは、沖縄の仲間たちと連帯し、互いの歴史と平和への願いを共有して、核廃絶の署名活動を自主的に始めた。

「どうすればヒロシマを継承し、核のない平和な世界をつくることができるか」という問いに対する中高生でもできる持続可能な実践的かつ具体的な探究活動である。

この活動が年々、市民に浸透し、広島県や広島市などからも認められて、国連派遣、国連での英語のスピーチなどへとつながっている。この夏も二人、ウィーンの国連に派遣予定だ。

その2008年の夏の出来事である。私が記した私の『ヒロシマ・ノート』の一節である。

先輩たちが1グループ10人ほどで、大汗をかき、大声を張り上げ、広島市のアーケード街で署名を呼びかけていた。「核廃絶の署名キャンペーンにご協力お願いします」と。

15年前のこと、戦後64年である。始めた当初、大声むなしく、素通りする人もまだ、少なくなかった。が、街頭署名活動の2日目の終盤、70才くらいのおばあさんが自転車に乗ってやってきた。「私も一筆書かせてちょうだい」と。おばあさんは自転車を降りて、生徒が首にかけていた署名のボードに手をやって署名をし始めた。と思ったら、手がまったく動かない。少し間を置いて、おばあさんのすすり泣きが聞こえてきて、おばあさんの大粒の涙が署名用紙を湿らせた。「大丈夫ですか」と言う生徒の声に反応し、おばあさんが語り出す。

「ピカはいけん。原爆は絶対に許しちゃいけん。戦争は嫌だ。絶対にやっちゃーいけん。私の家族はみんな、ピカにやられたんよ。私はひとりぼっちになってずっと施設で暮らした。苦しかった。辛かった。お父さんやお母さんに会いたかった。家族と楽しくご飯を食べたかった。みなさん、こんな活動をしてくれてうれしいです。ありがとう。」

(「ピカ」は原爆のことである。被爆当時、庶民は原爆のことをそう呼んでいた。)

聞けば、前の日も自転車で通過したとおばあさん。生徒たちの姿を見て、核廃絶という声を聞いて、署名をしなきゃと思ったけど、そうしたら辛い過去を思い出して悲しくなるから、心の中で「ごめんなさい」」と言って、素通りした。でも、家に帰ってテレビニュースを見ていたら、「中高生たちは、国連に提出する署名活動を明日も行います」と言っていた。こんなに暑いのに、若い子たちが立ち上がっている。素通りして申し訳なかったな。よし、明日、署名に行こう」と、決心して自転車で署名に来てくださったのである。

諸君の先輩たちの活動は、被爆者の方々の希望となっていったのである。

この光景に、先輩たちも泣いていた。このおばあさんのこの一筆が、活動の原点となった。実際に街頭に立つことで知った被爆の実相。広島の慟哭。そして先輩たちはこんなことばを使うようになった。「この一筆が世界を変える」「Small is Beautiful」。巨大な核に対して、「小さな存在や、小さな行為こそ美しい」という意味である。そして国連スピーチではいつも、被爆者の声をこのように紹介するようになった。「No one should ever have to suffer as we have.」「もう誰にも自分と同じ思いをさせてはならない」。被爆の苦痛に耐えて、生き抜いてきた被爆者はみな、敵対や憎しみを超えた素朴で崇高なこの平和への思想を共有し、世界に「No more HIROSHIMA, NAGASAKI」を訴え続けた。だから、われわれの現在の平和があるのだ、と私は信じて疑わない。

私たちは、このおばあさんのような人々の「声なき声」に耳を傾けなければならない。私たちの社会は、一部の政治家や経営者など、著名な人、社会的に地位のある人だけで成り立っているのではない。この社会に生きる人はみな、平等であり、みな尊重され、みなかけがえのない存在なのである。

だから、何か理由をつけて、誰かをばかにしたり、いじめたり、差別してはならない。盈進はそれを絶対に許さない。差別やいじめを許さず、すべての人を尊重し「共に生きる」社会をつくる人材、そんな人材を盈進は育成する。差別があるところに戦争があり、戦争は最大の人権侵害であるからである。

世界はウクライナの問題だけでない。アフガニスタン、香港、ミャンマー、シリア等、世界のあちこちで独裁者たちが人権と平和を侵害し、民主主義を踏みにじっている。

難民問題も、子どもの貧困も、すべて、わたしたちの日々の暮らしに結びついている。だから、誰もが当事者として「どうすれば解決できるか」、どうすれば、自分は「平和・ひと・環境を大切にする」(盈進の基調)ために貢献できるかを問い、悩み、考え、行動しなければならない。だからこの盈進で、授業や学級活動やクラブや行事や委員会活動で、心身を鍛え、本を読み、仲間と共に、自ら心と教養を耕してほしいと願う。

 

先ほど、この『輝く先輩』を紹介した。今春、広島大学教育学部に合格したバレー部キャプテンだった丹羽くんが掲載されている。彼は、三原の西の方から毎日、電車通学した。「共通テスト」では理想の結果とはならなかった。だから、2次試験前の合格判定は低かった。その2次試験は実技試験もともなうため、実技の練習もしなければならない。その練習に、バレー部の仲間はもちろん、クラスの仲間も駆けつけてきたそうだ。丹羽くんはそれがとてもうれしくて、「絶対に合格する」と心に誓ったという。そして合格。わが盈進は、常に仲間と共にある学び舎である。

地域に冠たる伝統校、わが私学盈進の合言葉は119年間、ずっと変わらず「仲間と共に」。

 

それは、「共に生きる」と同じ意味である。仲間との絆を大切にしてきたからこそ、119年の歴史が紡がれ、わが盈進はここにある。昨年夏、48年ぶりの「甲子園」も「仲間と共に」あったが故に、みなで行くことができた。甲子園から帰ってきた「報告会」で、キャプテンだった朝生弦太くんが語ったことばが私は今も忘れられない。「伝統のユニフォームを着て、大好きな仲間たちと、大好きな野球ができて幸せでした」と。

 

諸君。きょう出合った仲間と、これから出合う先輩たちと、固い友情を育み、新しい盈進の歴史と伝統を築いてくれることを大いに期待する。その主人公は君たち以外にない。激変するこの時代に、希望の光を灯すために、努力を惜しまない誇り高い盈進生として、常に問い、悩みながら、自分を鍛えてほしい。「仲間と共に! Be a challenger」挑戦者たれ、「Be a pioneer」開拓者たれ。

 

盈進はそんな諸君を日々、全力で応援する。

 

2023年4月6日 盈進中学高等学校  校長  延 和聰

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