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2022年度 中学校卒業式 校長式辞

2023年03月11日

中学卒業式 校長式辞

「仲間と共に、自分で考え、自分で行動する」

 

諸君、中学卒業、おめでとう。私が、理事長先生から校長職を拝命したその年に入学してきたのが君たちである。私は常に君たちと共にあった。

諸君はずっと、ここにいる仲間と共にあった。信頼する仲間があって学力も伸びた。クラブ活動も楽しかった。だから、そんな仲間たちを決して裏切らず、ずっと大切にしてほしい。

私は、君たちが入学する以前からこう問い、こう伝え続けてきた。「学校で一番大切なものは何か」「それは仲間だ」と。

すぐれた人間性は、学力という尺度だけで測られるものではない。人間性は、家庭や社会で経験する理不尽さや不条理、自己への内省、他者への共感、謙虚さや利他性等々、そういった学術とは関係なさそうな修練を経て内在化されるのである、と私は考えている。

今日も、いつも伝えている「盈進共育」~仲間と共に、自分で考え、自分で行動する~をテーマに話をする。

 

コロナの3年が経過した。この間、一斉休校もあった。運動会、各種の大会やコンクール、感謝祭も中止や縮小に追い込まれた。それらを目標として、努力を重ねてきた諸君にとってはさぞ、悔しさが残ったことであろう。会いたい人に会いたいときに会えない日が続いた。家族間でさえ、病院や高齢者施設での面会が制限されるなど、私たちはさまざまに断念せざるを得ない辛い日々を過ごしてきた。しかし、君たちが先輩として、上級生に学びながら、日常生活のなかで後輩たちに範を示し、引っ張ってきてくれたことをうれしく思う。そして、心から感謝する。本当によく耐えた。ありがとう。

そんな日々にあっても、勉学や学級活動、そしてクラブ活動に励み、努力した。昨年6月、神辺にて、音楽部を中心として、応援部や放送部、ヒューマンライツ部も交え、すばらしい地域貢献活動を行った。女子バドミントン部は2年連続で中国大会に出場した。その他の運動部も、福山地区はもちろん、広島県レベルで活躍した。文化部も全国レベルの評価を受けた。先ほどの表彰がそれを物語る。誇りに思う。

先ほど表彰された修了論文。最優秀賞の田上陽菜さんの「脳死と臓器移植」、優秀賞松浦里祈(りき)くんの「私が国民の運動不足を解消する~国民の運動不足の現状とその解消法~」、同じく大下真緒さんの「在宅医療は本当に効率が良いのか」。どれもしっかりと本を読み、他者の意見を受け入れ、また、FW調査も用いて論理展開の裏付けとなる客観性を持たせたことが高く評価されたと思う。実にすばらしかった。さらに思考を深めてほしい。

読書感想文もすばらしかった。私の講評はすでに、本館(新校舎)と北棟(中学棟)を結ぶ2階通路のパネルに掲示した。すべての中学生の読書感想文が本館(新校舎)1Fホールに展示されているので、保護者のみなさまはどうか、お子さまのみならず、その仲間たちの読書感想文を是非、読んでいただきたいと思います。本に親しむ者は、謙虚に自分にチャレンジし、自ら未来を切り拓くパイオニアとしての可能性を大きく広げる、と私は考えている。

コロナで日常が変わった。加えて、ロシアのウクライナ侵略で、政治バランスや経済も変わった。自由や人権、民主主義といった人類普遍の原理さえ、「何が本当なのか」という問いを突き付けられたと、私は思う。そしていま、核の脅威や気候変動の問題は人類生存の危機であると、日々の生活の中で意識せざるを得なくなった。

戦争は、人の思考を粗暴化し、単純化していく。思考の経過が単純化すると、歴史のパターンが繰り返されるということは、歴史が証明している。だから私たちは面倒でも考え抜き、他者と対話し、行動し続けなければならない。多くの犠牲を払ってやっとの思いで手にしたわが憲法に則って、「どうすれば戦争をしないですむのか」とういうことを。

 

約3年前、2020年5月1日、休校延長となった日、私は、「『弱い立場』にある人への『共感する力』をもとう」と題して、次のメッセージを君たちに送った。

……君たちにまた、会えなくなった。悲しい。……人は人に出会い、人のやさしさやあたたかさを感じたり、人の苦しみや悲しみを自分のことのように感じたりできる。そうして、人と人がつながることに喜びを感じて幸せになる。人は、自分の幸せを人に伝え、また人と人とが出会い、手と手をとり合って、人の環(わ)を大きくする。その「人と人とがつながっていく」力を、「共感する力」と呼ぶのだと、私は思う。

しかしいま……このウイルスは……人とのつながりを分断し、「共感する力」や「人を信じる力」という、人がもつ根源的な力を、私たちから奪おうとしているんじゃないかと、私は感じている。私たちは、こんなときこそ、人として、想像力を働かせ、「弱い立場」にある人に共感する力をもたなければならない、と私は思う。でなければ、私たち人は、このウイルスの恐怖に押しつぶされてしまうかもしれない。でも逆に、いま私たち人が、これまで以上に、他者に共感する力もてば、このウイルスの問題が落ち着いたときに、新しい形の人と人とのつながりを創造し、未来に希望をつなぐことができるのだろう、と私は思う。

私たちは、激変の時代だからこそ、人と出会い、人から学び、想像力と共感力を持ち、隣にいる人と、そして、世界の人々と、「共に生きる」という視点を失ってはならない。昨日の「ホンモノ講座」で德田弁護士が語っていた視点と同じである。

 

今日は3月11日。同じ干支の12年前の今日、東日本大震災が起きた。君たちはまだ3才だった。あの日から約1ヶ月後、小学校に入学した者たちが先日、高校を卒業した。

最近、今年の芥川賞受賞作、この本『荒地の家族』を読んだ。著者の佐藤厚志さんが宮城県の現役書店員であり、彼自身が東日本大震災を経験していることでも注目された。しかし、この本に「震災」ということばは出てこない。すべて、「災厄」(わざわい)ということばに置き換えられている。つまり、悲しみを東日本大震災に限定せず、災いはどこでも誰にでも起きるというメッセージが込められているんだ、と私は思った。この本は、12年前の災厄後の歳月を不器用に暮らすしかない人々の物語である。災厄後も止むことのない渇きと痛みが通底する。私は12年前にこの目で見た東北の風景が重なって、何度も涙をこらえた。

12年前、私は、理事長先生の援助も受けて、「被災地に行きたい。被災者と会いたい。自分の目で見て、自分の体で感じたい」と言った君たちの先輩たちといっしょに現地に行った。

放射線被害によってふるさとを追われた福島の人々と出会った。放射能に汚染された土を入れたおびただしい黒いビニール袋の山にことばを失った。津波で家族3人を亡くした女性の涙を見るのが辛かった。

そのとき、「被災地に行きたい」と言った中心の当時高校2年生だった君たちと同じ中高一貫生の山本真帆さんは、被災地から戻ってこんな文章を残した。一部を紹介する。

「子どもなんだから福島には行かないほうがいいよ」。この言葉が私に火をつけた。

被災地宮城県でのボランティア活動を終えた方々からの報告会。これは私の質問に対する答え。「健康を心配してくださっているのはわかるけど……」(中略)

「だけど、そこには、私よりも小さな子どもがいる。外で遊べないんだよ。重度障がいの方だって暮らしているんだよ。毎日、目に見えない恐怖とこれからもずっと過ごすんだよ」

「福島から来ました」と言ったら、「放射能がうつる」と逃げ出す人がいて悲しかったと子どもが語っていた。決めた。私は福島に行く。そしてこの目で確かめる。

66年前に広島で被爆。今、郷里福島で人生2度目の放射線被害に悲しむ81才の大内佐市さん。寝たきり生活の佐市さんに会いたくて、新聞記者に手紙を出し、その思いを伝えた。佐市さんとご家族に、避難区域外で直接お会いする機会をいただいた。

福島県伊達郡川俣町。「風評被害に負けない」の看板が目に入る。福島と真正面から向き合っていないのは私自身だったのだ。重すぎる現実に目をつぶっていてはだめだ。

「ありがとう」と、佐市さんは涙を流して喜んでくださった。妻の次子さんは「ずっと被爆者のことを忘れないでほしい」と語ってくださった。「もう誰にも同じ思いをさせてはならない」という“ヒバクシャ”の悲願と福島の願いが重なった。

福島の詩人、和合亮一さんの言葉が浮かぶ。「牛にも、街にも、私にも。この地球よりも、重たい命がある」「福島を愛する 福島を子どもたちに手渡す 福島と共に涙を流す 福島は私です 福島はあなたです 福島で生きる 福島を生きる」

そう、福島は私。放射能は見えないけど、人と人とのつながりはくっきり見えた。私は、これからもずっと、福島とつながる。

山本真帆さんはその後も、学習を怠らず、慶應義塾大学に進学。防災学をメインに学び、大学3年の時は、ドイツに1年間留学。その経験を生かして現在、中国新聞社の記者として活躍している。山本真帆さんは、祖父も父も盈進OB。親子3代で盈進生だった。山本さんの人柄を最もよく表す場面。それは、一時期、学校に行けなくなった仲間を毎日、坂下で待て、その仲間にそっと寄り添い、坂道をいっしょに上がっていた姿だった。真帆さんは誰より仲間を大切にした。彼女が他者から愛されるのは、彼女がひととしてやさしいからであり、その人間性が信頼されているからである。

君たちも彼女のように、共感力と想像力を大事にしてほしい。そして、仲間を大事にし、疑問に思うことや避けてはならない問題などに向き合って、仲間と共に、自分で考え、自分で決心し、自分で行動してほしい。Challengerとして挑戦し、未知の世界をパイオニアとして切り拓いてほしいと願う。

33年前、盈進に奉職して間もなく、この本を買った。『無着成恭の詩の授業』。まだ25才。目の前の生徒といっしょにいるのが楽しくて、でも時に生徒の鋭い感性が怖くて、いつも、何を語りかけようかと必死になって本を読んで、考えていた。あるとき、担任をしたクラスのホームルームで、この本の中から、石垣りんさんの「表札」という詩で学習した。

表札

自分の住むところには  自分で表札を出すにかぎる。

自分の寝泊まりする場所に  他人がかけてくれる表札は  いつもろくなことはない

病院へ入院したら  病室の名札には石垣りん様と  様がついていた。

旅館に泊まっても  部屋の外に名前は出ないが

やがて焼場の鑵(かま)にはいると  とじた扉の上に

石垣りん殿と札が下がるだろう  そのとき私がこばめるか?

様も  殿も  ついてはいけない、

自分の住む所には  自分の手で表札をかけるに限る。

精神の在り場所も  ハタから表札をかけられてはならない

石垣りん  それでよい。

 

他人と比べて、劣等感に陥ったり、優越感に浸ったりすることのおろかさ。すべての人は、その存在自体に価値があり、その存在はすべてかけがえのないものである。自分の存在を、他者と比べたりして評価すべきではない。自分は自分であって自分以外の何者でもない。

自分のことは自分で決めんだ、と、石垣りんは、私たちに伝えたいのではないかと、わたしは思う。

そう考えれば諸君のこれまでの評価もある意味、一面的、一過性に過ぎない。まだ15才なのだ。他者から、ああしろ、こうしろと言われてやることも今日で卒業。大事なことは、仲間を信じて切磋琢磨、自分で「こうする」と決めてやりきること。それでよい。それがよい。

 

地域に冠たる伝統校、わが私学盈進の合言葉は118年間、ずっと変わらず「仲間と共に」。

それは、「共に生きる」と同じ意味である。建学の精神「実学の体得」~社会に貢献する人材となる~のもと、仲間との絆を大切にしてきたからこそ、118年の歴史が紡がれ、わが盈進はここにある。先輩たちが成し遂げた48年ぶりの「甲子園」も「仲間と共に」あったが故に、みなで行くことができた。甲子園から帰ってきた「報告会」で、キャプテンの朝生弦太くんが語ったことばが忘れられない。「伝統のユニフォームを着て、大好きな仲間たちと、大好きな野球ができて幸せでした」と。

人生の可能性をどれだけ広げられるか。それは自分次第だ。どんどんチャレンジしてほしい。他者から与えられるものには限界がある。しかし、自分から求めれば、その可能性は尽きることはなく、さらに大きくなる。高校生の君たちにますます期待する。

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