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2022年度 高校卒業式 校長式辞 

2023年03月01日

2022年度 高校卒業式 校長式辞

「仲間と共に」~118年変わらぬ伝統~

 

本日ここに創立118年の伝統校、私学盈進の卒業式が挙行できることをうれしく思うと共に

千田学区町内会 連合会会長・三好寛治さま、千田小学校校長・石田典久さま、盈進学園同窓会長・小林茂之(しげゆき)さま、保護者会長・宮永裕美(ゆみ)様をはじめ、ご臨席のみなさまに心より感謝申し上げます。

 

保護者のみなさま、本日はお子さまのご卒業、誠におめでとうございます。

あわせて、これまで本校に対して多大なるご理解とご支援を賜り、心から感謝いたします。

 

諸君、卒業、おめでとう。別れは、実にさびしい。私が、理事長先生から校長職を拝命したその年に入学してきたのが君たちである。私は常に君たちと共にあった。

世界中がコロナに慄き3年が経過した。この間、一斉休校もあった。運動会、各種の大会やコンクール、感謝祭も中止や縮小に追い込まれた。それらを目標として、努力を重ねてきた諸君にとってはさぞ、悔しさが残ったことであろう。会いたい人に、会いたいときに会えない日が続いた。家族間でさえ、病院や高齢者施設での面会が制限されるなど、私たちはさまざまなことを断念せざるを得ない辛い日々を過ごしてきた。しかし、君たちが先輩として、上級生に学びながら、日常生活のなかで後輩たちに範を示し、引っ張ってきてくれたことをうれしく思う。そして、心から感謝する。ありがとう。

そんな日々にあっても、勉学や学級活動、そしてクラブ活動に励み、努力した。昨年6月、神辺にて、音楽部が中心となって、応援部や放送部、ヒューマンライツ部も交えて、すばらしい地域貢献活動を行った。剣道部、フェンシング部、硬式野球部は全国大会に出場を果たした。それ以外のクラブも中国大会や広島県の上位レベルで活躍した。文化部も全国レベルの評価を受けた。先ほどの表彰がそれを物語る。誇りに思う。

コロナで日常が変わった。加えて、ロシアのウクライナ侵略で、政治バランスや経済も変わった。自由や人権、民主主義といった人類普遍の原理さえ、「何が本当なのか」という問いを突き付けられたと、私は思う。そしていま、核の脅威や気候変動の問題は人類生存の危機であると、日々の生活の中で意識せざるを得なくなった。

 

休校時、私は君たちへ断続的にメッセージを発した。

2020年4月、諸君が入学してまもなくだった。感染者やご家族、医療従事者やその子どもを含むご家族等への心ない差別的な言動が報じられていた。

「他者を排除することは間違っている。」だが、「悲しいかな人は、『差別する生きもの』で、私たち人の心には、人を差別するという弱い心があると思う。人を差別して、自分を優位に立たせたり、自分の不満や恐怖を人のせいにしたりすることによって、できるだけ、自分だけは傷つかず、安全でいられるようにしたいと思っているんだと思う。でも人は、その対極に、自分の心にある差別する弱い心を自覚し、それに克とうとする理性も持っている。それを身につけるために学習するのだ」と。私たちは、激変の時代だからこそ、隣にいる人と、そして、世界の人々と、「共に生きる」という視点を失ってはならない。

今、世界は戦争中である。ウクライナが戦場だ。だが、それだけではない。アフガニスタン市民のタリバン支配による苦難、シリア紛争、ミャンマーの圧政など。世界のあちこちで独裁者たちが人権と平和を侵害し、民主主義を踏みにじっている。そして、トルコ・シリア大地震も、難民問題も、子どもの貧困も、もうすぐやってくる「3・11」後12年目のこの国のありようもすべて、わたしたちの日々の暮らしと結びついている。社会で起きているすべては他人事ではない。自分が、世界の平和や人権の確立にどう貢献できるかという命題は、私たちすべてに課せられている。第二次世界大戦、太平洋戦争でおびただしい犠牲を払った私たちは、わが憲法に則り、決して戦争はしてはならない。人を差別してはならない。

諸君はこれから、進学、就職、それぞれの道を歩く。そこでも、私はやはり、第一に仲間を大切にしてほしいと願う。サークル活動があるなら是非、それに参加することを私は推奨したい。新しい仲間と出会うこと、新しい世界に出合うことで、人は己の小さきを知り、謙虚さを学ぶ。あるいは、己の可能性を知り、チャレンジ精神やパイオニア精神を育む。

「男はつらいよ」(寅さん)シリーズで知られる日本映画の巨匠・山田洋次監督は東京大学在学中、自分に自信を失い一時期、引きこもりになってしまったそうだ。そんなとき、友だちが、「サークル活動をやってみろ」と声をかけてくれた。それがきっかけで山田洋次監督は「映画研究部」に通うようになり、そこで自分の天分を発見したのだった。

 

最近、この本を自分に重ねて読んだ。『ぼくはウーバーで捻挫し、山でシカと闘い、水俣で泣いた』。著者は現在、東京大学准教授の斎藤幸平さん。他者の犠牲の上に成り立つ大量生産・大量消費型の社会を批判し、ベストセラーとなった『人新生の「資本論」』の著者である。斎藤さんは「学者は現場を知らない」という批判を潔く受け入れた。だから、自ら現場に行って、現場の人と同じように働いて考えた。その体験をエッセイにした本がこれ。『ぼくはウーバーで捻挫し、山でシカと闘い、水俣で泣いた』である。斎藤さんは言う。「閉じこもらずに、他者に出会うことが、想像力を鍛える。だから、現場に行かなければならない」と。

汚い場面も出てくるが、少しだけ、わたしの体験談を聞いてほしい。タイトルを「この本」よろしく、こんな風にした。『ぼくはキャンプでヘトヘトとなって、アキにトイレで試され、アキを横にして海を見つめて泣いた』と。式辞に相応しくないとの批判も覚悟で述べる。

あれはわたしが大学3年の夏。もう約40年近く前のことだ。歴史学の専門書を中心に難しい本を読んで頭でっかちになっている自分に、どこか嫌気がさしていたころだった。

自分を変えたくて、重度の知的障がいがある人たちとキャンプをするボランティアに出かけた。1週間ほど海辺のキャンプ場で24時間、寝食を共にする。野球で鍛えた体には自信があった私は、自ら志願し、いちばん手のかかる「アキ」という名のわたしと同い年の男性を担当することとなった。

アキをご両親からあずかる際に睡眠薬を渡された。お母さんが私にこう告げた。「アキは寝ないので夕食後にこれを飲ませてください。でないと延君の体力が持たないと思う」と。私は心で誓った。「睡眠薬が体にいいはずがない。睡眠薬は使わない」と。

アキのことばは「あー」とか「うー」。私たちが使用することばを持たなかった。

アキを甘く見ていた。まったく言うことを聞かず、海岸線をとにかく走り回った。目を離すとその隙を突いて、どこまでも走って行った。追いかけっこに私は、くたびれ果てた。

1日目の昼過ぎ、アキがいない。とうとう捜索願を出した。「海で溺れて、死んだなんてことになったらどうしよう」。最悪の結果ばかりが頭をよぎり、生きた心地がしなかった。

「見つかった」と連絡があり、連れに行った。「心配したんだぞ!」と厳しく言う私に、アキは抵抗を示した。

夕食。アキはバナナしか食べなかった。私は「早く寝てほしい」と思っていた。だから「アキ、食べてくれよ」と何度も言った。でもアキは、私が差し出すスプーンを手ではじいて食べなかった。それでもアキは、その後のキャンプファイヤーでも飛び跳ねていた。

私を睡魔が襲う。睡眠薬が頭をよぎった。が、自らの誓いを思い出して、思いとどまった。

夜12時を過ぎてようやく、アキがテントで横になった。だが、必ず私の方が早く寝てしまい、そのすきに、アキがひとりでどこかに行ったりして、また捜索願を出すことになってしまったら……そんなことを思い、アキの体と私の体の両方にキャンプ用ロープを巻き付けて寝た。深夜、アキが「うー」と言って私を起こした。トイレだ。仕方なくいっしょに行った。

トイレと言っても、海岸から少し離れた茂みに、スコップで穴を掘り、まわりをビニールシートで仕切った手作りのいわゆる「どっぽん」トイレ。匂いもきつい。灯りは懐中電灯のみ。

私が外から懐中電灯で照らしてアキが用を足す。しかし、なかなか出てこない。「アキ、終わったか。出ておいでよ」と言う私にアキの泣き声。中に入ると、アキのビーチサンダルが用を足した大便の上に落ちて突き刺さっていた。アキは「うーうー」と叫んで私の腕を引っ張り、私に「それを取れ」とせがんだ。だが、それを取るにはどう考えても、私が寝そべって、穴に頭を突っ込み、手を伸ばすしか方法はなかった。私はアキに、「頼むからあきらめてくれ。俺のビーチサンダルをやるから」と言い、トイレを出ようとした。が、アキの叫び声はキャンプ場に響き渡って、何人も心配して起きてくる騒ぎになった。

鼻がもげそうだった。が、決心した。寝そべって、思いっきり手を伸ばして辛うじてスリッパをつかんで取った。そして、洗ってアキに渡した。アキは満面の笑顔でそれを履き、私を引っ張ってテントに帰っていっしょに寝た。それからキャンプが終わるまで、アキは常に、私と行動を共にして、ごはんもいっしょにたくさん食べた。

最終日、「アキ、明日、バイバイやな」と言いながら、二人で漁り火が見える海を眺めていたら、アキが私に抱きついて、まぶたをベロベロなめてきた。気持ちいいものではなかったが、なんだかうれしくて、愛おしくて、私は海を見ながら泣いていた。アキは、私の泣き顔を見て、思いっきり笑っていた。

別れの時、お母さんに睡眠薬を全部、お返しした。そして、まぶたをなめられたことを伝えたら、お母さんがこう言った。「アキは、大好きな人にしかそれをしないんですよ」。うれしくてまた泣いてしまった。私はアキに、人を愛すること、人に愛されること、人を信じることを教えてもらった、と思っている。諸君、出会いを求め、違う世界、異なる価値観を知るんだ。さすれば、人は、もっと自由になれる。

 

33年前、盈進に奉職して間もなく、この本を買った。『無着成恭の詩の授業』。まだ25才。目の前の生徒といっしょにいるのが楽しくて、でも、時に生徒の鋭い感性が怖くていつも、何を語りかけようかと必死になって本を読んで、考えていた。はじめて担任をした生徒の卒業に際して、この本の中から、吉野弘さんの次の詩を送った。

 

奈々子に

赤い林檎の頬をして   眠っている奈々子。

お前のお母さんの頬の赤さは  そくっり  奈々子の頬にいってしまって

ひところのお母さんの  つややかな頬は少し青ざめた。

お父さんにも  ちょっと  酸っぱい思いがふえた。

唐突だが  奈々子  お父さんは  お前に  多くを期待しないだろう。

ひとが  ほかからの期待に応えようとして  どんなに  自分を駄目にしてしまうか

お父さんは はっきり  知ってしまったから。

お父さんが  お前にあげたいものは  健康と  自分を愛する心だ。

ひとが  ひとでなくなるのは  自分を愛することをやめるときだ。

自分を愛することをやめるとき  ひとは  他人を愛することをやめ   世界を見失ってしまう。

自分があるとき  他人があり  世界がある

お父さんにも  お母さんにも  酸っぱい苦労がふえた。

苦労は  今は  お前にあげられない。

お前にあげたいものは  香りのよい健康と

かちとるにむづかしく  はぐくむにむづかしい  自分を愛する心だ。

 

「自分を愛する心」とは何か。自分を大切にすること、そして、自分は、他者や社会に対して何ができるかを常に考えることではないかと、私は解釈している。

地域に冠たる伝統校、わが私学盈進の合言葉は118年間、ずっと変わらず「仲間と共に」。

それは、「共に生きる」と同じ意味である。建学の精神「実学の体得」~社会に貢献する人材となる~のもと、仲間との絆を大切にしてきたからこそ、118年の歴史が紡がれ、わが盈進はここにある。48年ぶりの「甲子園」も「仲間と共に」あったが故に、みなで行くことができた。ありがとう。甲子園での“盈進”はすべてが輝いていた。うれしかった。

「報告会」でキャプテンの朝生弦太くんが語ったことばが忘れられない。「伝統のユニフォームを着て、大好きな仲間たちと、大好きな野球ができて幸せでした」。

諸君。盈進を離れ、それぞれの場所で、また新しい仲間と出会い、その仲間を大切にし、厚い友情を育んでほしい。しかし、苦しかったり、悲しかったりしたときこそ、“盈進”で結ばれたかけがえのない仲間たちと語り合い、支え合ってほしいと願う。それがまた、盈進の歴史と伝統をより強固にすると確信する。

これからが「盈進、盈進、ほこれよ盈進」の本番である。「平和・ひと・環境を大切にする」心を忘れず、時に「盈進共育」~仲間と共に、自分で考え、自分で行動する~を思い出してほしい。

そして、どうか、自他のいのちとこころと健康を何よりも大事にしてほしいと、切に願う。

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