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2022年度 1学期始業式 校長あいさつ 

2022年04月05日

2022年度 1学期 始業式 校長あいさつ(2022年4月5日)

前略

2022年度が始まった。新しい仲間たちと共に、新しく出合う先生方と心を通わせ、毎日の授業と学習、クラブ活動や行事などを通して、信頼を築き、充実した日々を送ることを願っている。

昨年度2学期以降、新しいクラブが発足した。応援部、読書部、家庭科部、写真部。そしてこの度、ダンス部も発足した。これらのクラブは、可能な範囲で、他のクラブとの掛け持ちもあり得る。顧問と相談しながら積極的に自分の能力を伸ばすために活動してほしいと願う。

 

わたしたち教職員は、高い目標に向かって日々努力する君たちを、全力で応援することを約束する。

是非とも、その高い目標を決して最後まであきらめず、仲間と切磋琢磨、励まし合い、支え合い、必ず、自ら建てた目標をかなえてほしいと願う。6年生諸君、毎日、自分で決めた時間に、自分で決めた学習を規則正しくやろう。それが、目標をかなえるための鉄則である。最後まで、「仲間と共に」である。

昨年度から導入した、学校で夜8時まで学習できる体制もある。仲間と共に、どんどん利用してほしい。土曜日の開放もある。定期試験前になると約2週間前から徐々に、クラブ単位で学習する体制も次第に整ってきた。学校中を、生活でも学習でも活気ある空気に包んでほしい。学校の主人公は君たちであり、君たちこそが新しい盈進の未来をつくるのである。

仲間と笑顔で登下校する君たち、盈進坂でも校内でも、元気に深々と頭を下げてあいさつする君たち、真剣に授業に向かう君たち、休み時間に仲間と楽しく過ごしている君たち、クラブ活動に真剣に取り組む君たち、行事では仲間とはじける君たち……わたしたち教職員にとっては、どの君たちも、この福山の地に冠たる創立118年の伝統校私学盈進の、わが誇りうる生徒である。もう一度言うが、その誇りうる、そして愛おしい君たちをわたしたち教職員は、持っている力を出し切り、全力で応援する。どんどん頼ってほしい。

明日、新しく中学1年生と高校4年生の合計約400人が入学する。わが盈進は、広島県東部の学校では最も新入生が多い伝統校である。新しい仲間、新しい先輩や後輩たちを心広く迎え入れ、交流を深めてほしい。新しい出合いは必ず、新しい自分の発見につながる。出合いは楽しいものである。

盈進の建学の精神は「社会に貢献する人材の育成」という意味の「実学の体得」。それに基づく「平和・ひと・環境を大切にする中高一貫の学び舎」という本校の基調を常に意識し、「仲間と共に、自分で考え、自分で行動する」という盈進共育を、毎日の生活の中で実践してほしい。

 

中略

4月1日、明治以来、約140年ぶりに民法が改正され、成人年齢が18歳に引き下げられた。すでに成人となった生徒、まもなく成人となる生徒もいるだろう。すでに、公職選挙法は改正され、選挙権は20歳から18歳に引き下げられているが、今後、何が変わるか。

民法が定めている成年年齢は、「一人で契約をすることができる年齢」という意味と、「父母の親権に服さなくなる年齢」という意味がある。

成年に達すると、親の同意を得なくても、自分の意思でさまざまな契約ができるようになる。例えば、携帯電話を契約する、一人暮らしの部屋を借りる、クレジットカードをつくる、高額な商品を購入したときにローンを組む、10年有効のパスポートを取得できるなど。また、女性が結婚できる最低年齢は16歳から18歳に引き上げられ、結婚できるのは男女ともに18歳以上となる。裁判員制度の裁判員に選出されることもある。

一方、健康面への影響や非行防止、青少年保護等の観点から、飲酒や喫煙、競馬などの公営競技に関する年齢制限は、これまでと変わらず20歳である。

ただ、経済的、社会的に保護者の支援がなければ日常生活が保てないという現実をふまえ、保護者に相談すべきはちゃんと相談して、自己決定をしてほしいと願う。また、社会に潜むリスクも学び、詐欺や何らかの攻撃に正しく対処する術を身につけてほしいと願っている。

 

諸君、本を読もう。新聞を読もう。本や新聞は、「自分で考え、自分で行動する」ための多様な価値観を学ぶためにある。読書は、人生のすべてが単純ではないことを教えてくれる。そして、その学びの向こうに、他者や仲間と共に「どう生きるか」という知恵と哲学を授けてくれる。

読書は、一人で行う孤独な営為である。しかし、それは常に、自分との、あるいは「誰か」や「何か」との「対話」である。本からことばを受け取り、感情が豊かに耕され、そこからそれまで知らなかった世界へと視野が広がっていく。

いま、大学は、激変する答えのない時代を生きるための力として、すべての学習の土台としての「読解力」を求めている。わたしは、ものごとを“複眼的に考える力”が真の読解力だと考えているが、その真の読解力や深い思考力は、日頃からの読書体験が不可欠なのである。

今日もいくつかの本を紹介しながら話を進める。きょうは、ウクライナ侵略に関し、「わたしたちは日本国憲法に返るべきである」をテーマに話をする。

 

中略

大量殺人と生活の破壊が止まないウクライナ。毎日胸がえぐられ、苦しい。世界の喜劇王チャプリンはかつてこう言った。「1人殺せば悪党で、100万人だと英雄だ」と。殺人事件は犯罪だが、大量虐殺も戦争に勝てば英雄の手柄である、という意味である。

いかなる戦争もわたしは許されないと思う。戦争はどんなに正義を振りかざしても「人殺し」なのである。唯一、正当化できる戦争があるとすれば、ウクライナがいま、行っている、先制攻撃に対する正当防衛としての戦いだけであろう。だが、そうであっても、戦う時間が長引くほど、おびただしい市民の尊い命が奪われていくのが現実としてある。

 

中略

きょうは4月5日である。わたしは77年前の沖縄を想う。米軍は3月26日、慶良間諸島に上陸。4月1日には沖縄本島に上陸し、「鉄の暴風」のもと、「ありとあらゆる地獄を集めた」と表現される沖縄戦で約20万人が死亡した。恐怖、喉の渇き、ひもじさ等々、いまのウクライナも同じであろう。

日本本土も各地で空襲にさらされた。福山の街も焦土と化し、福山城も焼け落ちた。8月6日には広島に、9日には長崎に原子爆弾が投下され、熱線により全身がとかされた。ある少女はその光景をこう表現した。「ピカが落ちるとにんげんがお化けになる」と。

いまも、広島の原爆供養塔には約7万体とされる身元不明の遺体が眠る。切明千枝子さんは、君たちとほぼ同じ年齢で被爆。水がほしいと言って目の前で亡くなった仲間の声が今も聞こえると語る。そして、その人を含む多くの仲間のいのちを助けられなかった77年前の後悔と罪を背負い、90歳を過ぎた現在も証言活動を続けている。これは何を意味するか。一旦戦争をすると悲しみと苦しみは77年経った今も消えないということ、つまり、戦争は現在も進行形だということである。

かつてのヒトラー率いるナチスドイツも大日本帝国も「自衛」の名のもとで先制攻撃に走り、あげくに滅びたのである。わたしは、これこそが、日本が長い歴史の中でたった一度だけ、外国による占領から血を吐く思いで学んだ教訓であると思う。

 

中略

イスラエルは、ユダヤ人の国であるが、先ほど紹介した広島の被爆者、切明千枝子さんとほぼ同じ年齢、90歳を過ぎたリリアナ・セグレさんの証言集がこれ、『アウシュビッツ生還者からあなたへ~14歳、私は生きる道を選んだ~』。図書館に入れるから、是非、読んでほしい。

ユダヤ人であるが故に13歳で父と一緒に収容所に送られたセグレさん。収容所で、「働ける者と働けない者」に選別され、「働けない者」はすぐにガス室に送られた。遠くに父を見たのが最後になった。つい30分前まで父にすがっていた少女は頭がおかしくなりそうになる。絶望と栄養失調で精神が破壊された囚人のようになったのだ。

セグレさんは「体は生きていても、人間性は死んでいた」と話す。それを物語るのが収容所からの逃避行中に道ばたで馬の死体を見つけた場面。前を行く女性がかぶりついて生の肉を食べた。セグレさんもそれにならった。「死んだ馬よりも私たちはずっと哀れな存在だったのです」とセグレさんが静かに述懐している。

「収容所でも助け合いや友情はあったのか」とある人がセグレさんに尋ねた。セグレさんはこう答える。「みなさんをがっかりさせるのは残念ですが、そうしたものはありませんでした。あっという間に痩せ細り、みすぼらしい姿の身ひとつだけになってしまった時、人は自らも考えつかないような恐ろしい人間になるのです」と。

ユダヤ人の大量虐殺「ホロコースト」については、今月末、イスラエル大使が盈進を訪問される予定にあわせて、盈進近くの「ホロコースト記念館」からお借りしたパネル展が新校舎1階のホールで行われるので是非、立ち止まって学習してほしい。

わが日本は、ヒロシマ・ナガサキの被爆と、福島の放射能被害を経験した国として、戦争放棄をうたう平和憲法に則り、世界の平和秩序の維持と回復に貢献しなければならない、とわたしは思う。

以下、憲法の前文から。

日本国民は、恒久の平和を念願し……平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。

この文こそ国連憲章にも通底する「人間の安全保障」の概念であり、このもとに第9条は成り立っている。すなわち……

日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

(この)目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

このわが日本の平和憲法を世界に広める努力こそ、本当の「自衛」行動であるとわたし思う。かつてスイスがナチスドイツの包囲を乗り切った道もこれだった。

「日本は、国家の主権として、永久に戦争を放棄する」。英語ではこうなる。

「The Japanese people forever renounce war as a sovereign right of the nation.」

 

わたしたちはみな、ウクライナの戦火を、「どうすれば止められるか」と問い、「利他」の視点で考え、悩みながらも、平和の思いを紡ぎ、状況を変えなければならない。

世界はウクライナの問題だけでない。アフガニスタンのタリバン支配、香港の言論圧殺、ミャンマーの軍事統制など、世界のあちこちで独裁者たちが人権と平和を侵害し、民主主義を踏みにじっている。難民問題も、子どもの貧困も、すべて、わたしたちの日々の暮らしに結びついている。だから、誰もが当事者として、どうすれば解決できるかを問い、悩み、考え、行動しなければならない。

そのために、2022年度も、いま以上に、クラスやクラブで心身を鍛え、本を読み、勉強し続け、自ら心と教養を耕してほしいと願う。

建学の精神「実学の体得」~社会に貢献する人材になる~ために、新時代を切り拓くパイオニアとして、果敢に挑戦するチャレンジャーとして、盈進生の誇りを胸に、常に努力を惜しんではならない。

 

最後に……

殺し合いではなく対話を

青い空と黄色の豊作に似合うのは平和

心の中から希望が切り離されないように

とにかく生き延びてほしい

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