学校法人盈進学園 盈進中学高等学校

ホーム最新情報2022年度 2学期「始業のことば(校長)」

最新情報

2022年度 2学期「始業のことば(校長)」

2022年08月22日

2022年度 2学期「始業のことば」(リモート)

 

コロナ感染第7波が収まらない。きょうも多くの仲間がその影響で欠席を余儀なくされている。ひとりひとりが社会の一員としての責任と自覚の上に感染防止に努めるしかない。自分と他者のいのちと健康を守るために、である。

ウクライナの戦禍で亡くなる人は後を絶たない。その方々と、コロナによって亡くなられた方々やご家族の悲しみに、それぞれ深く、思いをはせよう。

諸君、どんな夏休みだっただろうか。この夏はやはり甲子園。盈進が、地域が、福山が、広島が、そしていや、全国が野球部の甲子園出場にわいた。みなが純白のユニフォームの胸にある「EISHIN」という文字とその響きに、これまで以上に誇りを感じ、一体感を覚えたことだろう。大応援団は全国の高校野球ファンの目に焼き付いたに違いない。みな、一投一打に固唾をのんだ。

 

広島大会もみごとだった。甲子園では、最後まで随所に好プレーが見られ、見る人すべてに感動を与えてくれた。実にさわやかだった。すべての高校野球部生徒たちと山下教頭先生(野球部長)、佐藤監督をはじめ、すべての関係者に心から感謝する。ありがとう。この後、キャプテンだった朝生弦大君からみんなへあいさつがある。そのとき、みなで大きな拍手を送ろう。

うれしいお便りを紹介する。府中市の50代の女性から。彼女には重い障がいがある。人権と平和を大切にする盈進の共育にいつも関心を寄せてくださっている。その彼女が入院中の病院から、盈進と野球部へ「元気をありがとう。ありがとう」と綴ってくださった。なんてありがたい声援であろうか。ご縁に感謝しながら、私の涙腺がゆるんだ。

「EISHIN」に集うすべての者は、野球部員も含め、このような励ましとご期待に感謝の気持ちを忘れず、常に謙虚に、「私学盈進」の一員である自覚と誇りを持ち、これからますます、それぞれの自分の責任と役割を果たさなければならないと思う。

 

ここで「盈進のクラブ活動」の原点を確認したい。先般18日、「高校体験クラブ」を実施した。多くの近隣の中学生が来校した。そのときの私のメッセージの一部を伝える。

未知の課題に挑むには「たくましい知性」が必要だ。また、国境を越えた諸問題を解決するには、異なる国籍や性別、思想、価値観などの多様性を尊重し受け入れる「しなやかな感性」が必要だ。そのために盈進は、クラブ活動を大切な「盈進共育」の柱と位置づけており、とても活発だ。

「盈進共育」のベースは、私学盈進の建学の精神「実学の体得」~社会に貢献する人材の育成~。私は、「社会に貢献する」には、大きく3つの力が必要だと考えている。

一つ目は、基礎学力。盈進は学習が最優先。野球部も学習を大切にした。二つ目は、他者へのやさしさや思いやりの心。それには想像力や共感力が必要だ。ひとはひとりでは生きていけない。仲間と共に、悩み、悲しみ、よろこび、支え合って生きていく。野球部は、チームとしてこの心が強かった。三つ目は、自分の“弱い心”に克つ精神力。それには忍耐力が必要だ。ひとは楽な方に流されやすい生きものだ。だから、目標に向かって毎日、仲間と共に、決めたことを、励まし合って、継続して、やり抜く力 ~継続力~ が大切なのだ。

これらの力を身につけたひとは、仲間を大切にして、自分で考え、自分で行動することがでる。そして、自ら輝く。まさに、このひととしての力が社会に貢献し、激変の社会を「生き抜く力」であり、硬式野球部か甲子園出場を果たしたのはこうした日々のプロセスを大事にした結果だと私は考える。試合中継中に流れる録画で朝生弦大キャプテンがチームについて堂々とこう語っていた。「一戦必勝。仲間と共に、自分で考え、行動する」と。甲子園という大舞台は「仲間と共に、自分で考え、行動する」という「盈進共育」の実践的積み上げの賜だった、と私は思う。

付け加えて、本校は、すべての生徒、すべてのクラブは同等であり、すべてのクラブにおいて、スポーツクラスも、スカウト制度も、特待生制度も存在しない。

この夏、活躍したのは野球部だけではない。水泳は5Dの土肥彩香(あやか)さんがインターハイ(高校総体=全国大会)に出場。結果、中国大会で優勝した記録を更新。

フェンシングも、6B山下智己くんと5C村田園さんがインターハイで活躍した。すばらしい。

剣道は2B森本千晴(ちはる)さんが中国大会出場。6E松岡涼菜(すずな)さんが国体中国ブロック大会出場。バドミントンは、3A川瀬茉央(まお)さんと大平美空(みく)さんのペアが中国大会に出場。ゴルフは2Bの佐藤日向(ひなた)君が全国大会に出場した。みな、よくやった。

 

これから、1学期終業式で予告していたとおり、「面倒でも対話を」をテーマに話をする。

きょうはその「Chapter2」(第2章)。なぜ「面倒でも対話を」をテーマにしたか。1学期の終業式でその理由を述べた。もう一度、それをおさらいして、話を進める。

ロシアによるウクライナへの侵略は「民主主義への挑戦」と言われる。民主主義の基本は何か。「少数意見の尊重」である。であるから、民主主義には、他者の意見に耳を傾ける知恵と勇気が必要だ。では、その要諦(要となる大切なこと)は何か。「対話」である。プーチンは「対話」ではなく、暴力を用いて自国の主義主張を展開し、利益を得ようとしている。だから、民主主義を守るためにも、私たちは「面倒でも対話を」しなければならないのだ。

ウクライナ危機は明後日、半年を迎える。夏が過ぎれば厳しい冬が待っている。いまも無辜の尊い命と日常が奪われている現実に胸がかきむしられる。

ウクライナ南部で原子力発電所周辺への攻撃が相次いでいる。ロシアが開戦の一週間後から占領しているザポリージャ原発である。核汚染の暴挙を顧みない言語道断の所業である。原子力施設を意図的に戦場にする蛮行を即刻停止することを私は求める。では一体、どうすればこの戦争は終結 ~和平や停戦協定の締結~ に向かうだろうか。その答えは現在、誰も持っていないだろう。しかし、考えることを放棄せず、過去と対話し、歴史から学ばなければならない。

この戦争の戦場はウクライナである。侵略したロシアは戦場ではない。そのロシアが戦争の終結に応じる条件とは何だろうか。歴史を振り返ってみる。日本もかつて「太平洋戦争」で、アジア諸国を欧米諸国(ヨーロッパ諸国や米国など)からアジアを解放するとうそぶき、77年前まで、アジア諸国を侵略していた。その日本は欧米諸国による経済制裁や苦しい戦況にあえぎながら、しかし、和平や停戦に移行しなかったではないか。最終的に、日本が大陸への侵略をあきらめるには、沖縄戦、そして本土空襲(爆撃)、果てに広島、長崎への原爆投下という多大な本国の犠牲を払ってのことだった。では、同じことがロシアに起きればいいかといえば、そうではなかろう。つまり、ロシアが和平や停戦に応じるには、ウクライナの次にロシアが戦場となり、多大の犠牲が出なければならない、ということにはなるまい。ではどうすればこの戦争が終わるか、ということを、私たちは世界市民の一人として、対話を繰り返し、考えなければならないと、私は思う。

戦後77年。早くてあと5年で「誰も戦争を知らない」という時代となる。沖縄や広島や長崎のみならず全国でそれが現実となる。敗戦当時10歳だった人は現在87歳。5歳だった人は82歳だ。

1945年8月8日、広島が原爆で破壊された2日後、福山も大空襲で354人が死亡した。その前日の8月7日、愛知県豊川の海軍工廠(軍需工場)も空襲を浴びた。生き残った伊藤等さんは現在91歳。この空襲の「最後の語り部」だ。体調がすぐれず、起き上がれない日があり、語り部活動に不安がつきまとう。「爆撃で飛ばされた遺体が降ってくる中、松林を這うように逃げた。誰かを助ける暇もない爆撃の中、逃げ込んだくぼみにかがむと、生き埋めになった人の上に立っている自分に気がついた」と証言する。(毎日新聞/2022/8.15)

15日の「戦没者追悼式」に岡山県の大月健一さん(83歳)が参列した。健一さんは、父・克己さんを写真でしか知らない。克己さんは26歳で中国にて戦死。息子の健一さんはその16日後にこの世に生を受けた。父・克己さんが「男の子だったら健一と名付けよ」と言い残していた。父親がいない健一さんは学費が払えず苦労しながら、農業に精を出して生きてきた。健一さんは追悼式で非業の死を遂げた父に誓った。「ウクライナの戦場で自分と同じように親を亡くした子どもが多くいる。だから『殺し合いは絶対にいけん。恒久平和の世界をつくる』」と。(毎日新聞/2022/8.16)

ウクライナ危機で、核兵器使用の危険性も現実味を帯びている。長崎市の平和祈念式典で被爆者代表の宮田隆さんは「ウクライナに鳴り響く空襲警報のサイレンはピカドン(原爆)の恐怖そのもの」と訴えた。

伊藤さんや大月さんや宮田さんは、なぜ自分の体験を語るのか。どうして面倒な対話をするのか。考えなければならない。それは「もう誰にも自分と同じ思いをさせてはならない」という復讐と敵対を超えた素朴で崇高な平和への願いなのだ。他者の幸せを願い「伝えなければならない」という使命感がそうさせるのだ、と私は思う。そして私たちは、その使命感による「実体験を語る」という対話があったから、日本は77年間、戦争をしなかったという事実を忘れてはならない。

戦争体験者が確実にいなくなる未来がそこに来ているいま、AIによる戦争体験の記憶の試みもすでに行われている。では、私たちにできることは何か。みなが等しく考え、自らと対話し、行動しなければならない現在である。

 

世界に目を向ける。ウクライナ危機の長期化で、国際情勢は厳しさを増す。ペロシ米国下院議長の訪問をきっかけに台湾を巡る緊張が高まる。そうした中、政府は防衛費を大幅に増額する方針を打ち出し、米国に「核の傘」の強化を求めている。念頭にあるのは軍事力強化を進める中国。だが、やみくもに防衛装備を増強すればかえって地域の緊張を高め衝突を誘発する危険性も増す。

アフガニスタンでは昨年8月15日に米軍が撤退し、イスラム主義勢力のタリバンが復権して1年が経過した。タリバン政権下では、女子は学校に通えない。国際支援が行き届かず、失業が深刻化し、暴力と貧困の連鎖が止まらない。

20歳のティムリさんは、2歳の娘をガスも電気もない家で育てるが、生活苦をしのぐために自分の腎臓を売って、日本円で約35万円を手に入れた。算数が得意な10歳のライハナさんは、家族がタリバンに殺されたこともあり、家族の借金返済のために10歳年上の男性と結婚することとなった。(朝日新聞/2022/8.15)

私は、国連UNHCR協会とUNICEFのサポーターに登録している。毎月、協賛金が必要だ。悲しむ人々を救いたいという気持ちがあってそうしている、というだけではない。

誰かが、やれることを、やれるときにやらねばならない、と思っているが、私は、君たちのような子どもたちがいて、はじめて職業として成り立つ教員という仕事を得て、生活している。

ならば、世界の子どもたちの幸せのために、自分が、何かできることをすることは当然のことだと思っている。さらに私は社会科の教員だ。貧困や飢餓などの世界事情をいち早く正確に知ることは当然の義務である。だから、サポーター登録で送られてくる情報は、私の貴重な学習資料である。つまり、サポーター登録は、私にとっては、本を買うこととほぼ、同じことでもある。

国連UNHCR協会。一般的にそのままUNHCRと呼ばれる。日本語では国連難民高等弁務官事務所。英語では、United Nations High Commissioner for Refugees)。UNHCRは、ことし5月、世界の難民が1億人を突破したと発表した。この10年で2倍以上となった。

シリア人やクルド人の難民など、それだけ世界には不安定な地域が増えている、という数字だ。(時間の都合上、難民問題については、次回に譲ることとする)

UNICEF=国連児童基金。発足時は、国連国際児童緊急基金(United Nations International Children’s Emergency Fund)。UNICEFはその略。

『School For AFRICA』という情報が送られてきた。アフリカの「ブルキナファソ」と日本の比較。ブルキナファソは西アフリカの内陸に位置し人口約2000万人、60以上の部族で構成された国で、天然資源が少なく人口の80%以上が農業で生計を立てている。

日本が1000人中2人に対し、ブルキナファソは76人。一体、何の数字か。5歳未満の死亡率だ。日本がほぼ100%に対し、ブルキナファソは48%。安全な飲み水を利用できる割合だ。

日本が100%に対し、ブルキナファソは19%。トイレを利用できる割合だ。

私たちはそういう世界で生きている。

 

激変の世界情勢と社会状況。時間が早く回っているからこそ、立ち止まって自分と対話し、考える時間が必要だと私は思う。それが読書。読書は「どう生きるか」という哲学を授けてくれる。たった1冊の本が、その中のたった1行が、自分の人生を支える、と私は信じている。

紹介したい本は山ほどあるが、がまんしてきょうはマンガを3つ紹介する。戦争の真実を胸に刻んでほしい。忘却に抗おう。マンガはもはや、ポップカルチャーの中心的存在だ。フランスでは、マンガの売り上げの2冊に1冊は日本のマンガである。

ひとつめ。『日本のいちばん長い日』。「歴史探偵」半藤一利さんの名作。降伏か、一億玉砕の本土決戦か。運命の24時間を描く。敗戦を告げる天皇の「玉音放送」をめぐる攻防である。

ふたつめ。『大地の子』。徹底取材に貫かれた山崎豊子の名作。1945年8月8日、日ソ中立条約を破ったソ連が日本に宣戦布告。そして、中国東北部(旧満州)にソ連軍が侵攻し、そこに暮らしていた人々の塗炭の苦しみが始まった。戦後、中国に取り残された少年と妹の運命を描く。日本と中国。2つの祖国に翻弄されながら、自らの生き方を探し求める中国残留孤児の激動の戦後史。中国共産党の解説もついて、歴史考証も正確だ。

三つめ。『ラーゲリ~収容所から来た遺言~』。辺見じゅんの名作。敗戦後、ソ連の捕虜となった日本兵は極寒のシベリアに抑留され、凄惨極まる強制労働に従事した。抑留中に亡くなった仲間の遺書を、厳戒のロシア兵の目をかいくぐり、驚嘆する方法で日本へ持ち帰った男たちがいた。

すぐれたマンガは読まなければならない、と私は思う。読みたい人はすぐにでも、私のところへ。図書館にも今後、この3冊を含む秀作マンガを配置する予定だ。

 

6年生諸君。いよいよ進路選択、受験本番だ。最後まで仲間と共に、自ら立てた目標に、力強く歩む。苦しいときこそ仲間と励まし合う。ライバルは常に自分自身の心だ。弱い心に流されるか。弱い自分に克つか。常に自分と対話する。5年生以下の後輩たちは、努力する先輩たちの姿をよく目に焼き付け、その努力を日々の自分の糧としてほしい。

8月6日、77回目の広島原爆の日。国連事務総長アントニオ・グテーレス氏は、平和記念式典に参加し、ウクライナ危機での核の脅威を念頭に、世界に対話の声を発し、こう訴えた。

「We must ask what we’ve learned from the mushroom cloud that swelled above this city in 1945」。「この街の空に膨れ上がったキノコ雲から私たちは何を学んできたのか、問わなければなりません」。

国連ユネスコ憲章はこんなことばで始まる。「戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない」と。

 

最後に……今月、世界的ファッションデザイナー2人が亡くなった。

5日、広島出身で被爆者でもあった三宅一生さんが亡くなった。一生さんは、オバマ大統領広島訪問にも尽力した。

11日、服飾界の草分けで、日本のファッションを世界の舞台へ導いた森英恵さんが96歳で亡くなった。君たちがまとう盈進の制服の原型は、森英恵さんのデザインである。

最後に、その森英恵さんのことばを。

「昨日より今日は、もっとうまくやれる、いいものをつくりあげたいと、自分を励ましながらやってきた」と。努力を積み重ねてきた人の「自分と対話したことば」である。

私たちの日常を思うとき、重ねてそれは、けだし至言であろうと私は思う。諸君、2学期も努力しよう。

最新情報

TOP