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2021年度 2学期「終業のことば(校長)」

2021年12月20日

2021年度 2学期「終業のことば」(リモートで実施)

 

今年も、昨年に続いて世界中の人々が新型コロナウイルスにおののいた1年だった。その苦悩は今も続き、オミクロン株という変異ウイルスの感染拡大は言うまでもなく、決して予断を許さない状況である。

私たちに代わって最前線で治療や療養にあたる、お年寄りや障害のある人の介護をする方も含めた医療従事者の方々はもとより、感染の可能性の高い仕事に従事されているいわゆる「エッセンシャルワーカー」の方に、敬意と感謝の心を届けよう。

また、現在、感染によって治療されている方々にお見舞いを申し上げると共に、この間に亡くなられた方々と悲しみに暮れるご家族に対してお悔やみを申し上げる。

みなさん、そのままでいいので姿勢を正してください。自分たちのいのちを支えてくれている方々へ感謝の心を捧げると共に、亡くなられた方々にしばらく、黙祷を捧げよう。黙祷。

 

今年も感染防止に努めた毎日であり、窮屈な生活は続いている。みなさん本当によくこの状況に耐え、努力した。盈進は幸いにして休校や学年・学級の閉鎖等の措置を取りことがなく2021年を終えようとしている。みなさんひとり一人と保護者方々の社会の一員としての、また、仲間を思いやる自覚と認識による適切な判断と行動があっての結果だと思う。本当にありがとう。心から感謝している。これからも感染防止に努力しよう。

今年も、みなさんと保護者の方々が楽しみにされている大運動会や感謝祭、各種の大会やコンクールなどが中止や規模縮小という事態となった。努力を重ねてきた生徒にとっては、今年も悔しさが残る1年だった。

しかし、そのような中でもみなさんが先輩たちから受け継いできた盈進スピリットを発揮し、仲間を思い、工夫を凝らして、スポーツフェスティバルなどを自分たちの手で開きくことができたことはうれしいことだった。

また、剣道部、バドミントン部、水泳部、ヒューマンライツ部など中国大会や全国規模で活躍したクラブはもとより、地区大会でも文武両道で活躍したわが盈進の生徒たちに心から拍手を送る。来年も今年以上に、ユニフォームなどにある「EISHIN」の文字に誇りをもって、日ごろの努力と鍛錬の成果を、仲間と共に思う存分に発揮してほしいと願っている。

「ホンモノ講座」も再開できた。7月、みなさんの先輩の橋本瀬奈さんとそのゼミの順天堂大学国際教養学部教授で医師のフランソワ先生をお迎えした。アフリカのルワンダという国の出身のフランソワ先生は、ルワンダ内戦で多くのご家族を殺されたというお話をしてくださった。

6か国語を習得して、世界の健康と平和を守る活動をしている先生を通していのちの尊さや学ぶことの意味を問われたように思う。

11月、NHK日曜美術館やBSプレミアム番組のテーマ曲、アニメ映画「ペンギンハイウェイ」の音楽を担当する作曲家の阿部海太郎さんをお迎えした。目に見えない、そして、一瞬にして消えゆく音というもの、あるいは音楽という「語り得ぬ」存在が、人と人の心を結んだり、共感を呼び寄せたりするということを実感できたように思った。

「ホンモノ講座」ではないが、同じく11月、アフリカのコートジボアール駐日大使ご夫妻を、そして先日12月16日は、広島東洋カープ通訳の松長洋文さんをお迎えできた。いずれも、私たちがグローバル社会に生きていること、そして、広い視野を持ち、夢はあきらめずに自分の力でかなえることの大切さを学んだ。

 

私はこの4つの行事でゲストをお招きして気づいたことがある。それは何か。「君たち盈進生の存在はやっぱりすばらしい」ということである。盈進にお越しくださったすべてのゲストが笑顔満面に「盈進にまた来たいです」と言ってくださった。その言葉が私にはどんなにうれしいか。私には決してその言葉が「お世辞」には聞こえなかった。そして、ゲストのみなさんが「盈進にまた来たい」と言ってくださる根拠、その言葉を裏付ける理由が君たちの素養や態度にあることに気が付いた。

例をあげる。阿部海太郎さんがこんなことを言ってくださった。一通りお話やパフォーマンスが終わった後の「教えて海太郎さん」のコーナーの場面。「音楽の価値の本質を突くような質問が次から次に出てきたので圧倒されました」とおっしゃっていた。質問が絶えないということは、人の話をよく聞いていたという証明であり、ゲストの方々を心から歓迎していたという確証である。「いい話」(ゲストの方々のこと)は、「いい聞き手」(君たちの存在)がいて成立すると言い換えることもできる。

ゲストのみなさんが「盈進にまた来たい」と言ってくださるということは、君たちが「他者と共に生きる」ために大切な人としての素養と態度を備えつつあるということである。それはすなわち、君たちが、建学の精神「実学の体得」(社会に貢献する人となる)、それに基づく盈進の基調「平和・ひと・環境を大切にする学び舎」、盈進共育「仲間と共に自分で考え行動する」に合致した盈進生になっているということの証明であると私は思った。

 

日常が変わった。目に見えないウイルスを気にする毎日だが、それによって常に、私たちは、自分が世界の、そして地球の一員であることを自覚させられるようになったと私は思う。オミクロン株が地理的には遠く離れた南アフリカ共和国で確認されたというニュースを聞いて、誰もがそのニューを他人事だとは思わなかったのではないか。多かれ少なかれ、遅かれ早かれ、誰もが自分にも関係のあることだと思ったに違いない。そんなことを思うと、目に見えないウイルスが、地球規模で世界を見えるようにしてくれたのだと、私は考えるようになった。

世界に目を向けよう。2月、ミャンマーで軍部によるクーデターが起きた。アウンサン・スチーさんらそれまで民主的な政権を担っていた人々の拘束は現在も続いている。

6月、香港の民主派を支持してきた日刊紙『リンゴ日報』がとうとう廃刊に追いやられた。中国の香港に対する言論封殺は世界の民主主義に対する危機を象徴するものではないか。

8月、アフガニスタンの反政府勢力タリバンが首都カブールを包囲した。イスラム過激派の温床になりかねないとの懸念が強まっている。アフガニスタン市民のいのちと暮らしが心配である。

先般11月、イギリスのグラスゴーで開かれた国連気候変動枠組条約第26回締約国会議(COP26)に、世界の人々が高い関心を示したのも、気候変動が私たち人類の存在そのものを脅かすものだと、世界の誰もがとらえはじめており、決して他人事ではなく、自分事としてとらえているということである。

 

今日は、「自分を見つめ、自分の意識を変える」をテーマに、本を紹介しながら話をする。

 

まずは『新型コロナからいのちを守れ』

この本の主役、理論疫学者の西浦博さんは、日本で数少ない感染症数理モデルの専門家。新型コロナウイルス対策では、クラスター対策班の中心メンバーで、条件によって感染者数の増減がどう変わるかなどを数式で説明し、国の対策を提言した人である。

コロナ流行の「第一波」の際、人と人の接触の8割減を提唱したことから「8割おじさん」と呼ばれていた。「人との接触8割減」をめぐっては、それを西村経済再生相に説明したら即座に、「それは国民にはきつすぎ」と蹴られ、いつの間にか内閣が「7割減」に変更していたと明かしている。それでも、尾身茂コロナ感染対策専門家代表が「最低7割、極力8割」に押し戻したエピソードや、脅迫状まで届いたことも語られ、真実に驚いた。この本から、科学的根拠に従って政府と議論したり、国民に向けて情報発信したりすることがいかに難しいか、どう伝えれば、国民が納得するかなどについて、教えられた。果たして自分は、国民の一人として、また主権者として、人々のために、理論に基づき、正しいことを正しいと言い続けることができるか。自分と重ねて読んだ。

 

次に『人新生の「資本論」』

著者の経済資本家の斎藤幸平さんは、気候変動などで人類の生存が脅かされていることを念頭に、人間の経済活動が地球環境を徹底的に破壊する「人新生」と呼ばれる地質学的年代に突入したという考え方を示してずばり、「経済成長と二酸化炭素ゼロの両立は不可能だ」と疑問を呈する。

斎藤さんは、無限の利潤を求めて成長し続けなければならない資本主義は、地球の資源をひたすら収奪して大量生産、大量消費、大量破壊を繰り返す経済社会のシステムだと指摘。そして、それが、環境危機の原因である以上、資本主義の経済成長をやめて「脱成長」を発想のテーブルにのせるべきだと主張する。

『資本論』という本は、ヘーゲル哲学を学んだドイツの経済学者カール・マルクスの本。この本の資本主義を批判する理論をもとに、20世紀初頭にロシア革命などの社会主義革命が起きるのだが、斎藤幸平さんは、マルクスの国ドイツに留学して、徹底してマルクスを学ぶ。そして、誰もが生きるために必要な社会の共有財産である電気や水、医療、教育といったものを「コモン」と呼び、そのコモンが資本主義のもとですでに、利潤を生みだすために商品化されてしまっていることにも疑問を投げかけ、たとえば、このように提言する。

自分たちの町で再生可能エネルギーをつくって、電気代を町に支払い、その利益を町のためにどう使うか、そんな論議を私たち市民が行うべきだと言うのだ。

気候変動が進めば、いくら経済成長をしても、何億人もの難民が生まれ、食料危機に陥り、食料の争奪戦が起き、世界秩序も不安定になる。それは人間の真の豊かさではないと、斎藤さんは言う。

たぶん、君たちが大学に行ったらきっと、この『人新生の「資本論」』を読むことになるだろう。大学入試などの小論文を組み立てる際にも実に有益であろう。今からでもいい。興味があるならぜひ読んでほしい。理解できないことは私に聞きに来てほしい。いっしょに考えよう。世界を見つめつつ、自分たちの暮らしを見つめる意識改革も迫られる、そんな一冊であったことは間違いない。

 

三冊目は迷ったがこれにする。『これからの大学』

文化人類学者の松村圭一郎さんは、現在は岡山大学の先生。いま、私が注目している学者の一人。

(中略)

松村先生は「わかる」ことは「わからないこと」だと言う。唾液は口から吐き出せば「汚いもの」とされる。だが、唾液には雑菌の繁殖を抑え、虫歯を防ぐ効果もある。唾液の意味はそれがどこにあるか、身体の位置関係によって決まる。

ことばも同じだ。「優秀な学生さんですね」と言ったとする。通常は文字どおりの意味になる。でも、授業が騒々しいときに教員が生徒や学生に発することばだとしたら、それは皮肉を込めてまるで別の意味になる。すなわち、「どうしてそんなに騒々しいの。世間では優秀だと言われているのにね」などの意味となる。

松村先生はこのような事例をあげ、ある「もの」の意味や価値は、時と場合によって、または、置かれた状況によって異なる意味を持つ。つまり、それは、他のものとの関係によって決まる。だからこそ、何かを「わかる」には、どこまでいってもつねに「わからなさ」がつきまとうと松村先生は言う。

その追及や探究が学問であって、それは知識を身に着ける一般的な勉強とは違う。大学は、「わからないもの」の追求・探究であるという前提で、松村先生は、このように述べる。この本の一節から。

そこで、必要となる能力を「知恵」と呼んでおきましょう。「知恵」は「知識」のようにある定まった情報を「知っていること」ではありません。いくつかの情報から自分なりの「知識」や「考え」を導くことのできる力です。その力があれば、また別の新たな情報に出会ったとき、自分で「知識」を改変していくことができます。自分の力で人生を切り拓くことができる、と言えるかもしれません。

固定した「知識」をいくら知っていても、つねに新しい情報に遭遇する世の中を生き抜くことはできません。一歩、先に進めば、またそこに新たな地平があらわれてくる。そんな変化の激しい時代を私たちは生きています。いま使える知識は数年後には使えなくなっているでしょうし、もっと古い知識のなかに現状を打開する鍵があるかもしれません。どの知識を使うべきなのか、それを選び、判断するための「知恵」が不可欠です。それは、「考える力」ともつながります。「生きる力」と言い換えることができるものです。

その「知恵」はどこから来るか。あるいはどう身に着けるか。それは他者との対話であり、また読書なのだと、私は思う。この本の中にもそのような記述が随所にみられる。

 

盈進共育の「仲間と共に」は、仲間との対話を大切にすることでもある。みなさん、盈進で出合った仲間と、大いに語り合ってほしい。授業で、HRで、クラブで。

中学校の読書科や修了論文、盈進の探究の授業はどんな意味があるか。「激変する正解のない時代」を生き抜く力は、身近な事象から主体的に問いを見出す力、そして、課題解決に向けて仲間と力を合わせてアプローチする探究力にあると私は考えている。だから本を読む。この終業式後、せっかくの冬休みだから、好きな本をたくさん読むことを薦める。「盈進図書館みどりのECL」でたくさん本を借りて読んでほしい。

 

また本日、ご自宅にある本の提供を保護者のみなさんにお願いする文書を発信する。是非、学校に持ってきてほしい。たった一冊が、その中のたった一行が人生を豊かにし、支えることがある、と私は思っている。

本はやはり、「自分を見つめ、自分の意識を変える」最良のパートナーだと私はとらえている。

 

2021年夏。賛否両論が渦巻く中、東京オリンピック、パラリンピックが開催された。やはり躍動する鍛え抜かれた世界のアスリートの真剣勝負には心揺さぶられえるシーンがいくつもあった。

パラリンピック女子マラソンで優勝した視覚に障がいのある道下美里さんが金メダルを伴奏者の首にかけたシーンにはやはり、涙腺が緩んだ。「共に生きる」ってすばらしいし、障がいがあろうがなかろうが、病気であろうがなかろうが、自己に挑戦する人間のすばらしさに希望を抱いた。

さらに涙を流したシーンがある。パラリンピックの閉会式である。クライマックスにルイ・アームストロングという黒人歌手の名曲「What a wonderful world(この素晴らしき世界)」が披露された。もと人気バンドのボーカル、奥野敦士さんが歌った。奥野さんは、不慮の事故により肩から下の部分はすべて麻痺してしまい、首から上と、腕がかろうじて動く程度。大好きなギターを弾くことを奥野さんはあきめなければならず、ミュージシャンとしての絶望を味わった。

その奥野さんが、「でもまだ俺には歌がある」と、トレーニングを繰り返し、声が出るように体を鍛え、この曲を世界に発信したのだ。「What a wonderful world」は私が大好きな一曲でもあったので、映像を観て泣いてしまった。

I see trees of green, red roses too. I see them bloom, for me and you. And I think to myself,
what a wonderful world.

I see friends shaking hands. Saying, “How do you do?” They’re really saying, “I love you”.

みなさんも時間があるときにネットで「ルイ・アームストロング」「What a wonderful world(この素晴らしき世界)」を検索して聞いてみてくださいね。

 

6年生諸君、とてもしんどい1年だったことだろう。最後の最後まで諦めない人に、必ず合格がやってくる。最後の最後まで、仲間と共に、先生方を信じて、何より自分を信じて踏ん張ろう。

 

良いお年を。気を緩めず、感染防止に努めて、元気に1月7日、始業式に会おう。

来年2022年が「What a wonderful world」を何度も感じられる年でありますように。終わります。

校長

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