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被爆70年 / 5年・橋本瀬奈さんが高校生代表でスピーチ

2015年08月28日

8月5日(水)、5年(高校2年)橋本瀬奈さん(ヒューマンライツ部部長)が日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)被爆70年記念の「つどい」で、高校生代表としてスピーチを行いました(下段/抜粋)。前日8月4日、橋本さんの父方の曾祖父が70年前の8月6日、旧県庁で被爆して亡くなったと判明。橋本さんは5日当日、「つどい」会場が旧県庁跡地だったと、会場入りして知ることになりました。
ご両親、ご家族も会場に駆けつけ、瀬奈さんのスピーチに聞き入っていました。橋本瀬奈さんは、ルーツを知り、自分の立ち位置を確認する夏となりました。
スピーチは5日夕方にはNHKニュースで、翌日6日には新聞でも取り上がられました。また、橋本さんは5日、署名活動中に英国BBCテレビからインタビューを受けました。BBCで放映されるようです。

2015.08.05 日本被団協 被爆70年記念「つどい」
高校生代表スピーチ 盈進高等学校2年 橋本瀬奈
(於:広島文化交流会館 / 旧県庁跡地)

(抜粋)・・・「もう誰にも自分と同じ思いをさせてはならない」。これは、被爆者の敵対と憎しみを超えた素朴で崇高な平和の思想です。被爆者の平均年齢が80歳を超えた今、私は、核廃絶と世界平和のためにこの思想を何としても後世に伝えねば、と思っています。
・・・署名活動にあわせ、核廃絶の思いを強くし、曾祖父に会いたくなりました。
そして先月7月、やっと会うことができました。写真があったのです。曾祖父は広島県警の警察官。32歳でした。ちょび髭のきりっとした顔つきで、家族といっしょに写っていました。やっと出合えたという嬉しい気持ちとともに、どうして死ななければならなかったのかという悔しさと悲しさがこみ上げ、涙がこぼれました。
曾祖父は、単身赴任で広島に勤務中、亡くなりました。遺骨も遺品もありません。亡くなった場所も分かりませんでした。ただ、親戚に語り継がれた曾祖父の最期の言葉が残っていました。「水がほしい」。妻と子ども達を遺し、さぞ、無念だったことでしょう。
今夏、私は、家族と、「あの日」の曾祖父を探しました。県警本部にも問い合わせ、調べてもらいました。そして昨日4日、県警から連絡がありました。曾祖父は県警から県庁に派遣され、敵機偵察業務にあたっていた時に、原爆の閃光をあび、亡くなったということでした。
そして今日、この会場(広島文化交流会館)に来て、びっくりしました。この場所が、旧県庁だったのです。曾祖父は70年間、私や家族を探していたのかもしれません。曾祖父が、この地で、私と家族を待っていてくれたと思うと、胸がいっぱいです。・・・
・・・私たちは今こそ、命の尊さに裏打ちされた「もう誰にも自分と同じ思いをさせてはならない」という思想に学び、被爆者の声に、真摯に耳を傾けるべきだと、強く思います。
「ネバーギブアップ!」(広島被団協理事長・坪井直先生の口癖)
ご静聴ありがとうございました。

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