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2020年度 卒業式 式辞

2021年02月27日

2020年度 卒業式 式辞

「仲間と共に」~116年変わらぬ伝統~

 

前略 卒業生の諸君、卒業、おめでとう。別れは、本当に寂しい。

君たちには、苦労をかけた。新校舎建設で、まともにグラウンドが使えない日が続いた。2020年、世界中が新型コロナウイルスに慄いた1年となった。「さあ、いよいよ進路へ!」という時期に休校。運動会、各種の大会やコンクール、感謝祭も中止となった。それらを目標として日々、努力を重ねてきた生徒にとっては、悔しさが残る1年だっただろう。その苦悩はいまもつづく。だがひとつ、受験の只中にある生徒には申し訳なかったが12月、「新グラウンド、オープニング・フェスティバル」を開催出来たことをうれしく思う。

 

卒業記念集 『峠』。諸君が仲間と、青雲に燃えた日々を思うと、自分が伝統校盈進の教員であることを心から誇りに思えた。

古文調のこんな作文を見つけ、思いっきり笑った。同時に、諸君が、盈進や仲間を思う気持ちがうれしくて、涙がにじみ出た。

男もすなる日記というものを我もしてみんとてするなり。…運動会なり。我、応援団の長になりけり。口惜しきかな、コロナの名残で…延びにけり…、「如何にして催すことにやあらむ」とて、他の長と、夜半まで感染防止に務む企画書つくりけるが、運動会という行事、能はざりけり。然れども、運動会の代わりなる行事、出で来けり。我、いとうれしけり。我らの思う案、後世に継がなむ。「誠にありがたし」。

文法が少し、不正確だと思うが、このように、特にこの一年、最高学年の君たちが後輩を思い続けたことに感謝する。ありがとう。

 

日常が変わった。コロナ禍は、自由や人権、民主主義といった人類普遍の原理さえ、「何が本当なのか」という問いを突き付けたと、私は思う。

休校時、私は君たちに断続的にメッセージを発した。医療従事者の方々に感謝しつつ、彼らとご家族に対する差別・偏見は間違っていると断じ、5月11日登校日にはこう記した。

「悲しいかな人は、『差別する生きもの』で、私たち人の心には、人を差別するという弱い心があると思う。人を差別して、自分を優位に立たせたり、自分の不満や恐怖を人のせいにしたりすることによって、できるだけ、自分だけは、傷つかず、安全でいられるようにしたいと思っているんだと思う。でも、人は、その対極に、自分の心にある差別する弱い心を自覚し、それに克とうとする理性的な良心や良識も持っている。それを身につけるために学習するのだ」と。

 

校長として伝え続けてきた。「本を読もう」と。最近、30数年ぶりに読み返した本。

『方法序説』。近代フランスの哲学者、デカルトの書。読み返した理由は、次の2冊を読んで、2冊共に、『方法序説』が、「若者に是非、読んでほしい本」と紹介されていたからである。

その1冊は、『未来の自分に出会える古書店』。

こんな一節に目がとまった。「デカルトは…X軸とY軸の平行座標を考えた人でもあり、…数学的思考法を自分の人生の核にしたんだ。…『方法序説』を読んで…それまでやらされていると思っていた勉強に向き合う自分の姿勢が変わったかな」

もう一冊は、『本が好き』。著者の安野光雅さんは約2ヶ月前、94才で亡くなった島根県津和野出身の画家。安野さんが、「若い人の心の支えにしてもらいたい」と『方法序説』を紹介する。

『方法序説』はこんなことばではじまる。「良識はこの世でもっとも公平に分け与えられているものである」

安野さんは言う。「嘘か誠かを見分ける能力は誰にでも備わっている能力である、とこの本は言うのだ。私はこの1行だけで感激した。」

デカルトは言う。「理性はすべての人に備わっており、その用い方さえ正しければ、真理に到達することができる。…そこでわたしは、『世界という大きな書物』の探求にのりだした」と。

私は、「『世界という大きな書物』の探求」という1行だけで感激した。

そうしてデカルトは、人間の生きる意味、生きる価値を「われ思う。ゆえにわれあり」と表現した。

 

昨日2月26日は、日本が軍国主義一色に染まり、破滅への道へと突き進むきっかけとなった「2・26事件」から85年が経過した日だった。

あの日、陸軍教育総監だった渡辺錠太郎は、寝床を襲われ43発もの銃弾をあびて即死。9歳の娘、和子は、父と布団を並べていたので、銃弾に倒れる父の姿を一部始終見た。

学生時代の私は、「2・26事件」をとおして、国家と個人の相克を探り、事件の首謀者が銃殺刑にあう前の膨大な手記を読みふけった。そんなときふと、殺された側の家族の心が知りたくて、別の本を読んでいた時のことである。

父の凄惨な死を目の当たりにした和子は後に、「むごいことでしたね」と問われ、こう答えている。

「いいえ、あの場に自分がいなければ、父は、自分を憎む者たちの中で死ぬことになりました。私は、父の最期を見るためにこの世に生を受けたのではないかと思うことがあります」

「なぜ生きるのか」「どう生きるか」。人は常に、この問いに向き合い、われ思い、考えつつけねばならないのだと、その時、教えられた気がした。

 

わたしたちはいま、「人類生存の危機」ということばも、決して大げさではない激変の時代にある。

ならば、未来は、君たちにこそ、託されている。

だから、激変の時代を生き抜くための哲学を身につけるために本を読んでほしいし、「仲間と共に、自分で考え、自分で行動する」ことがますます、求められる。

米中の覇権争いは言うまでもなく、香港やミャンマーの民主化問題も、難民や核の問題も、子どもの貧困も、もうすぐやってくる3・11(東日本大震災)後10年のこの国のありようもすべて、わたしたちの日々の暮らしと結びついている。わたしたちは常に、当事者なのだ。

私たちは、いま、隣に座っている人と、地域の人々と、世界中の人々と「共に生きる」ために生きていると、私は思っている。激変の社会だからこそ、「共に生きる」視点を失ってはならない。

伝統校、わが私学盈進の合言葉は116年間、ずっと変わらず「仲間と共に」。それは、「共に生きる」とまったく同じ意味である。仲間との絆を大切にしてきたからこそ、116年の歴史が紡がれ、わが盈進はここにある。

 

諸君。盈進を離れ、苦しかったり、悲しかったりしたときこそ、“盈進”で結ばれたかけがえのない仲間たちと語り合い、支え合ってほしいと願う。それがまた、盈進の歴史と伝統をより強固にするのだと確信する。

これからがまさに、「盈進、盈進、ほこれよ盈進」、その本番である。

どうか、自他のいのちとこころと健康を何よりも大事にして、建学の精神「実学の体得」を胸に、社会に貢献してほしいと、切に願う。

 

2021年(令和3年)2月27日

盈進中学高等学校 校長 延 和聰

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